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貴州省・雲南省でも大きな成果

2009-03-23 16:03:04 筆者:admin06 出処:日中新聞 回数をブラウズします:0 ネット友達から評価 0 箇条

 

中国の大地を緑で潤す

「ヤトロファ」事業に賭ける

貴州省・雲南省でも大きな成果

地球環境保護 貧困農村救済も

株式会社CRM研究所

代表取締役社長

板垣 敏秀 さん

【リード文】

 「中国の貧しい農村を植樹で豊かにしたい」――そんな大きな志しを胸に奮闘している男がいる。㈱CRM研究所代表取締役の板垣敏秀氏だ。植林は近年バイオ燃料の原料として脚光を浴びている「ヤトロファ」。すでに貴州省に130万本を植樹、昨秋から雲南省麗江市でも植林を開始した。「目標は90億本植栽」。この活動を通じて中国防砂植林及び貧困層創出支援の一翼を担おうと意気軒昂だ。

【本文】

■胡主席も団長で

 板垣社長は1970年に㈱板垣園芸を設立した。そこで世界中を飛び回り、珍しい植物を探し求めていた。しかし、世界のほとんどの植物は日本の市場に出尽くしていた。もはや人目を引くような珍しい植物は前人未到の深山幽谷を訪ねるしかないという状態だった。

 そこで暗中模索の中で板垣社長が白羽の矢を立てたのが「中国の野生植物」だった。さっそく中国を訪問してその可能性を探った。1979年のことだった。その結果、まったく意外なところから始めなければならなかった。「中国はこれまで野生植物を輸出した経験がない。まったく解からないので数人の研修生を送るので、指導してもらえないか」と言われたからだ。

 そこで板垣社長はさっそく神奈川県日中友好協会箱根支部に入会し、中国の研修生受け入れを要請し、協会も「ぜひ研修生を受け入れよう」ということになった。さっそく中国科学院植物研究所を訪問し、研修生け受入れを要請した。翌80年には任意団体「日中青年研修協会」の設立に協力、岡崎嘉平太氏が会長に就任した。翌年には板垣社長も同協会理事に就任し、以後1990年まで研修生受け入れ事業を継続した。

 この間、研修生受け入れ事業でいくつかのエポック・メーキングといってよい出来事があった。まず、1984年に3000人青年交流訪中団(団長=岡崎嘉平太)40名が中国各地を訪問したのをはじめ、85年には外務省招聘中国青年代表団の来日に協力した。来日したのは第4次全青連派遣研修生54名。ちなみにこの時の代表団団長は現国家主席の胡錦濤氏(全青連主席団長)だった。歓迎レセプションは第一ホテルで盛大に行われた。

 85年12月末にはこれまで任意団体だった日中青年研修協会が社団法人となった。会長には岡崎嘉平太氏が、理事には法眼晋作氏、板垣社長(研修副委員長)などが就任した。なお、同協会は1991年から2005年まで全青連国際幹部の訪日受け入れに協力したが、この幹部は現在の中国で中核的な役割を果たしている錚々たるリーダーが顔を連ねている。胡錦濤、李克強、張宝順、劉延東、李剛、鄧亜軍、曹衛州、児健、湯本淵、羅世鵬などの各氏だ。

 「植物貿易をやりながら研修生の受け入れに力を入れた。ボランティア活動だったが、この時、培われた人間関係が今日の事業展開を大きく支えている」と板垣社長。2005年に㈱CRM研究所を設立した。この会社は中国における企業活動で発生するあらゆるトラブル対処法と危機管理をマネージメントする企業だが、提携先として中華全国青年聯合会(共青団中央委員会)の名が挙げられている。

「ヤトロファ」有能な特性

100年プラン着実に前進

■短期間で成果を

 当初は中国の珍しい植物を日本にもってきたいというのが動機だったが、板垣社長の思いはこれだけにとどまらなかった。「珍しい植物を求めて中国各地に分け入った。内モンゴル自治区、山西省、河北省などに春節の時期に行くと、荒涼たる大地に強風が吹き荒れ、生き物を近づけない厳しい自然が広がっているのを目の当たりにしてきた。これをなんとかしたいと思ったが、当時はお金も力がなかったので、どうにもならなかった」

 1999年夏、小渕元総理が訪中した際、中国の植林活動を支援するため100億円規模の基金設置構想を発表し、「日中緑化交流基金」が設置された。2000年度から日本の民間団体等が中国で行う植林緑化活動に対して助成を行っているが、広大な中国の大地への植林を思い浮かべると、気が遠くなるような気持ちになってしまったという。

 それでも板垣社長はめげなかった。「みんなで環境緑化―日本企業 百年平和友好 百年防砂植林事業―」(中国政府承認事業)という100年プランをたてた。東京都の約8倍の面積をターゲットにして砂防植林を行い、農村地区の発展にも貢献しようという構想だ。

 胡錦濤国家主席は、就任直後の2003年4月「植樹や造林、生態環境の整備強化は国と人民のための大事業である」と発言し、緑化活動への決意を示した。その方針どおり国家レベルでの取り組みを行っており、現在まで北京だけでも毎年50万人近くが植林活動に参加し、1年間に植えられる各種の樹木や草花は500万株にも達している。こうした防砂植林を活用した新農村建設の支援を行おうというのが100年プランだ。しかし、園芸の専門家として植物栽培に精通してきた板垣社長には、それが困難を極める作業であることもわかっていた。

 「もう少し短期間で成果を出せないものか。頭を抱えていたところ、『ヤトロファ』という植物に巡り合った。この植物は防砂植林にぴったり。しかも次のステップも狙えそうな気がした。『ヤトロファ』は厳しい自然にも強く、実現性がある。果実になる植物だと確信した」と板垣社長。

 「ヤトロファ」を簡単に説明すると、灌木(高さ2~5メートル)で花期は5~10月(緑・黄色・黒)、結実期は9~12月。原産地は南アメリカ(分布は熱帯・亜熱帯地域)。特徴は成長が早く、苗木から2年で結実。強健。好適音頭は年平均15度C。降雨量は年平均900ミリから2800ミリで栽培が可能。中国での分布は貴州・四川・広西・雲南・福建・海南等。

雲南省では90億本が目標

バイオ燃料で大口需要期待

■農家に現金収入

 「ヤトロファ」の種子は、油分が多く、石鹸、潤滑油、農薬、下剤、肥料の原料になる。現在はBDF(バイオディーゼル燃料)の原料として注目されている。油の含有率は30~35%で、収穫量は1株当たり5~8キログラム、搾油量は1株当たり1・5~2・5キログラム。特に「ヤトロファ」の種子は非食用で食用油と競合しないため、価格が安定していること。また、油分含有量が多く、農薬・肥料の資源投入が少なくて済むという大きな特色がある。

 2年目の芽出し前に70センチメートルの高さにピンチすると4年目には2メートル前後の高さに安定した株になり、収穫の際に労力が節約できる。5年目の安定期は収量は平均6~8キログラム収穫できる。1000ヘクタール当たり200人の専従労働者を雇用し、樹を管理することになる。

 このようにしてスタートしたのが日中共同「ヤトロファ」植林事業だ。この事業を始めるにあたり、板垣社長は中国貴州省において、中国青年実業発展促進会傘下「貴州中世緑色能源発展有限公司」との共同事業とし、貴州省南部の約6万6000ヘクタールの土地を20年間の賃貸契約をした。ここで地元農家の手を借りて「ヤトロファ」の樹を育成している。

 この事業では日本側から投資を行い、収穫した果実を日本側70%、中国側30%で分け合う。その樹から取れる果実の種子から搾油して、その収益金で砂防植林(黄砂)及び協賛者に還元する。現地での管理・運営は「貴州中世緑色能源発展有限公司」に一括委託。「ヤトロファ」の栽培技術に関しては、地元の「貴州大学」から提供されるというシステム。

 貴州省では2007年1月に50万株の植栽を開始し、2008年5月にはさらに80万株を植栽。合計130万株となった。

■一石三鳥狙える

 CO2を削減し、地球温暖化防止(防砂植林黄砂)に寄与するだけでなく、CSR(Corporate Social Responsibility)経営の一つのメニューとなり、企業価値やイメージ向上につながる、さらに中国農村部の雇用促進を図り、貧困層を救済するという成果が期待できる。一石二鳥どころか、一石三鳥の成果が得られる、優れた事業といってもよいだろう。

 板垣社長の「ヤトロファ」植林事業は雲南省でも始まった。昨年10月、麗江市で「ヤトロファ」植する事業だ。目標はなんと90億本の植栽だ。雲南省西北部の海抜1400メートル以下の地域。1万3330ヘクタールのうち、植林面積は7333ヘクタール(このほか自生地は6000ヘクタール)。そのビッグプロジェクトが動き出した。

 「南水北調」――日本人には馴染みのない言葉だが、故毛沢東主席が52年に着想した大治水事業だ。この着想をきっかけに中国政府が研究を続けてきた。総投資額は約5000億元(6兆8000億円)。長江の上・中・下流の3カ所でそれぞれ取水し、黄河の水量に匹敵する年平均約450億立方メートルを3本の導火線で運ぶ。東線は02年12月に着工した。東線が水の汚染、中央線は取水量の不安定さ、西線は難工事と巨額の事業費が問題点として指摘されてきた。最近、環境破壊などの配慮して一部ルートの変更なども検討材料にあがっているが、板垣社長の植林事業はこうした中国の治水事業を側面支援する意義も持っている。

 「貴州省で成果をあげて、かなり大きな反響があった。最近、日本のある電力会社との本格提携にこぎつけた。『ヤトロファ』を通じて農村を豊かにしたい。植林やバイオ燃料生産を通じて地球環境を良くしよう。そうした動機から始まった事業だったが、農村が豊かになることで都会に出稼ぎに行っていた農民が地元に帰ってくるようになった。たった一つの事業だが、さまざまな相乗効果をもたらしている」と板垣社長。政治も経済も倫理観が強く問われる事件がこのところ相次いでいる。板垣社長から一服の清涼剤をもらったような気持ちになった。

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