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「大連・丹東・瀋陽幹事会研修」

2009-10-13 16:48:33 筆者:admin06 出処:日中新聞社 回数をブラウズします:0 ネット友達から評価 0 箇条

日露戦争の激戦地・旅順
壮絶な戦跡から先人偲ぶ

【リード文】
 中国旅行懇話会は5月21日から24日までの4日間にわたって「大連・丹東・瀋陽幹事会研修」を行った。参加人数は10社11名。北朝鮮との国境の町「丹東」をメインに開放を目前にした旅順と、発展著しい瀋陽を視察した。また、伊藤忠商事の瀋陽事務所長を迎え、現地の経済発展の状況や観光資源などについて説明を受けた。この研修会では幹事会を開催し、今後の中国旅行懇話会の方向性について意見交換した。

【本文】
 21日午前10時10分、ANAで大連に向かう12時15分大連に着く。到着後、さっそく旅順へ。日清戦争後、日本の領土となった。しかし、三国干渉の結果、ロシアが租借権を得て堅固な要塞を構築、日露戦争後、終戦まで日本が租借した。昔から渤海、黄海をにらむ軍の要衝。
 旅順港の北東、100mほどの丘を登ったところに日露戦争の激戦地のひとつ東鶏冠山。山頂には慰霊碑があり、「東鶏冠山北保塁」と彫られてあった。
 日露戦争陳列館に入場する。薄暗い小さな記念館には、中央に旅順を取り巻く要塞の立体模型地図がおかれ、四方の壁には激戦の写真や日露両軍の将軍の顔写真が並ぶ。
 乃木希典将軍率いる日本陸軍第3軍は、ここ東鶏冠山を含む旅順要塞の正面突破を図るべく、5カ月にわたり第1次から第3次にわたる総攻撃を仕掛けた。しかし、堅固なロシア堡塁と機関銃に阻まれ死体の山を築くばかり。それでも肉弾突撃を繰り返し、堡塁の中での白兵戦まで行ったが失敗に終わった。
 記録によれば旅順攻略に延べ約13万人の兵が動員され、戦死者1万5390名、戦傷者4万3914名、計5万9304名もの犠牲を出した。
 厚さ1メートルにもおよぶベトンで固められたロシア堡塁を見て、直接触れることができる。100年の歳月を経てもまだなお、強靭な要塞に驚かされる。
 旅順のロシアの要塞を築くのに使役に使われたのは、地元旅順の人々だった。完成したある日、祝賀パーティーだと偽って全員が船に乗せられ、沖合いで爆沈された。軍事秘密漏洩を防ぐためだった。
 次いで旅順北西の二〇三高地に向かう。3回に渡る正面突破の総攻撃に失敗し、当初からの海軍の要望を受け入れ、二〇三高地を攻めることになる。比較的守りが手薄なだけでなく、旅順港を眼下に治める格好のポイントだ。
 更迭同然の乃木将軍に代わり、児玉源太郎が指揮する。旅順攻略の最後の激戦地となり、またまた屍の山を築いたが、28センチ砲の威力がついに敵を沈黙させた。
 ここを見張り所として、海軍の巨砲が山越えに旅順港を攻撃、また正面でも堡塁直下まで坑道を掘り進め、東鶏冠山堡塁爆破に成功した。ついにロシアは戦意喪失し降伏に至った。
 さらに水師営会見所へ。水師営というのは村の名前。日露戦争の旅順攻防戦はロシア側の降伏で終わり、ここは日露両軍の指揮官が会見した場所で、1905年1月5日、乃木大将とロシアのステッセル将軍が旅順開城の交渉を行った。現在の建物は、1996年に当時の資料を元に忠実に復元されたもの。なかには会見の際に使用されたテーブルやイスなどが実際に展示されている。会見時に移された記念写真なども多数展示され、当時の様子を記録写真でうかがい知ることができる。

シャングリ・ラホテル大連
5ツ星施設・サービス満喫

 大連豫園酒店で夕食。今夜の宿泊はシャングリ・ラ ホテル 大連。翌22日午前、同ホテルを視察。同ホテルは大連国際空港から車で20分の距離にある。ビジネスや観光に最適なロケーションが特徴。
 同ホテルはモダンかつラグジュアリーなインテリアを誇るゲストルーム(563室)を擁し、ブロードバンドインターネット接続やアメニティなどが利用できる。また、レストラン、ラウンジ、パブリックエリアでの無線インターネット接続やビジネスセンターなど、5ッ星ホテルにふさわしい施設とサービスを提供している。
 特にシャングリ・ラ ホテル 大連では、長期滞在予定ゲストに最適な、シャングリ・ラ レジデンスを用意している。レジデンスのゲストは、ホテル内レストラン、ビジネスセンター、郵便サービス、両替、クリーニング&ドライクリーニングなど、各種サービスや施設を利用できる。また、ヘルスクラブやハウスキーピングのサービスを特別価格で利用できる。
 ▽スタンダードルーム=シャングリ・ラ ホテル 大連では前述したように563室のラグジュアリーなゲストルームを用意している。各ゲストルームからは、大連市内または海岸線の眺めが楽しめる。
▽ホライゾンクラブ=ホライゾンクラブのゲストルームでは、滞在中のゲストへレイトチェック・アウト、ブロードバンドインターネットアクセス(無線)、パーソナルコンシェルジュなどのサービスを提供している。
 ▽スイート=シノワ調のインテリアでまとめたスイートには、寛ぐのに最適なリビングルームがあり、大型テレビやDVDエンターテインメントシステムなど、各種エンターテインメント設備を整えている。また、ゆったりとしたつくりのバスルームでは、デザイナーズアメニティを用意している。
さらに快適な滞在を希望のゲストへ、キッチン、書斎またはダイニングのあるラグジュアリーなスイートも用意している。
シャングリ・ラ ホテル 大連では、充実した設備と経験豊かなスタッフが、ゲストをサポートする。サポート内容は次の通り。
 24時間ルームサービス、託児サービス、ビジネスセンター、レンタカー、シガーショップ、シューシャイン、会議室、エクスプレスチェック・イン/チェック・アウト、バリアフリー施設、両替カウンター、ギフトショップ、ヘアサロン・ビューティーサロン、クリーニング、禁煙室、駐車場、写真現像、郵便、セイフティーボックス、タクシー&リムジン
 また、ビジネスセンターでは、最新鋭の設備と24時間サービスでゲストをサポートする。 サポート内容は次の通り。
 A/V機器、ファイリングサービス、ブロードバンドアクセスコンピュータ、電話会議/テレビ会議設備、宅配便サービス、ファックスサービス、レーザー印刷、LCD プロジェクター、会議室/ボードルーム、携帯電話、オーバーヘッドプロジェクター、コピー機、コピーサービス、プリンター、スキャン、スライドプロジェクター、インターネットサービス(無線、ホライゾンクラブルームと公共のエリア)、タイピング/翻訳/通訳サービス。
 このほかヘルス&レジャー関連では、4階のフィットネスセンターで衛星テレビ付きの最新トレーニングマシン、テニスコート、室内プール、サウナ、スチームバス、マッサージなどを利用できる。
 また、レストランとして「香宮(シャンパレス)」では広東料理を、「西村」では日本料理を、さらにオールデイダイニングのカフェでは各国の料理が楽しめる。ラウンジ&バーとしてはスタイリッシュなF2バーでは各種カクテルやDJによるライブミュージックが楽しめる。ロビーラウンジは歓談の場として最適。

北朝鮮との国境の鴨緑江
遊覧で戦略村の生活覗く

 午後、丹東へ。到着後、ホテル・クラウンプラザを視察。その後、ホテル会議室で幹事会を開く。丹東黄海漁村で夕食を取る。
 23日午前は丹東市内を視察。丹東市(たんとう-し)は遼寧省南部に位置する地級市。鴨緑江を隔てて朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)と接する国境の街だ。旧名は安東。朝鮮族が20万人以上居住している。中朝貿易最大の物流拠点であり、その7割以上がここを通過すると言われている。
鴨緑江大橋、断橋、鴨緑江遊覧、虎山長城などを見学する。鴨緑江大橋は、中朝友誼橋といわれる、丹東市と北朝鮮を結ぶ橋。鴨緑江に架かる全長946・2m、橋脚12の橋。下流側を鉄道、上流側を車両が利用する。1990年10月に中朝両国の合意に基づき中朝友誼橋となる。
 この橋の傍の一段低い位置に架けられているのが断橋と呼ばれる橋。朝鮮戦争の最中の1950年11月8日、アメリカ軍機の爆撃によって破壊され、その後、修復されなかった。しかし、断橋と呼ばれ、現在は観光用に整備されている。
 鴨緑江遊覧を行う。市内の安子哨港から1時間ほどの鴨緑江遊覧。鴨緑江は朝鮮第一の大河で、長白山に源を発し、両国の国境を790キロメートル流れて黄海に注ぐ。この当たりの鴨緑江は中国の領土になっているため、北朝鮮側のわずか50メートルほどまで船は近づいていく。
 洗濯をする人、手を振る人、畑を耕す人など、普通の生活がそこには見られた。韓国の板門店の近くにある北朝鮮側の戦略村のように、北朝鮮は豊かであると宣伝する意味合いをもっているのだろうか。あまりにも近く、あまりに普通なのに驚いた。
 虎山長城へ。この長城は明代の長城東端の遺構。遠くから見ると虎が座っているように見えるため、虎山と呼ばれた。また、長城の遺構のレンガが出土し付近の住民の建築にも使われたことから石山とも。丹東市街より20キロメートル、鴨緑江に沿って北上する。鴨緑江を隔てて、北朝鮮領の中洲が広がる。なお、長城のところの鴨緑江の川幅はわずか数メートルの一歩跨が位置している。
現在、長城遺構を散策できるように整備されている。入口からしばしゆるやかな傾斜となっているが、途中から稜線に沿った急勾配となり最高地点である標高146・3メートルまで達する。その先を中腹まで下りたところで長城は途切れ、その後は険しい遊歩道となり途中につり橋がある。
 昼食を終えた後、専用車で瀋陽へ。到着後、この夜、宿泊するトレーダースホテルを視察。
 24日は午前中瀋陽市内観光。まず、瀋陽故宮へ。瀋陽故宮は北京の故宮と並んで有名。封建時代に中国の皇帝の皇居だが、保存状態は良好。建築様式は漢民族・満州民族・蒙古民族の様式が融合しているところが特徴。北京の故宮の12分の1と小さいが、1625年に建てられた後金の2人の皇帝・ヌルハチとホンタイジの皇居で、清の入関後は引き続き離宮として用いられた。
 1961年に中国の全国重点文物保護単位に指定された。2004年にユネスコの世界遺産(文化遺産)、北京と瀋陽の明・清王朝皇宮に追加登録された。現在は瀋陽故宮博物院として一般公開されている。

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