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リオパラ開会式で美しすぎる演奏が話題。“3本指のピアニスト” 壮絶な人生
2016-09-09 09:33:38   From:まとめ   コメント:0 クリック:

リオデジャネイロ・パラリンピックが開幕

リオ・パラリンピックが現地時間の9月7日、12日間の熱戦の幕を開けた。

リオデジャネイロ・パラリンピックが8日夜、マラカナ競技場で開幕した。

ブラジルの子供たちがパラリンピック旗と共に入場し、4300人以上の選手が行進した。

ブラジル国歌は、事故で重度の障害を負ったブラジルのピアニストで指揮者、ジョアン・カルロス・マルティンスさんが演奏。

演奏で、マルチンス氏は動かない指の代わりに指の関節でピアノの鍵盤をたたき、音色を響かせた。

普段は速く、勇ましいテンポで演奏されるブラジル国歌だが、この日は約3分かけてゆっくり演奏。観客席からは大きな拍手が送られた。

Twitterでも美しすぎるピアノ演奏が話題に

国旗掲揚シーン。
ステージでは、ピアノソロで美しくアレンジされたブラジル国歌が演奏された。

パラリンピック開会式のピアノ演奏が美し過ぎて泣いた。

パラリンピックの開会式見てます。ブラジルの国旗掲揚のシーンは良かった。バックに流れる国歌がピアノソロで、超スローテンポ。普段サッカーの試合でお馴染みなアノ感じと全然違う。いいアレンジなのでもうオフィシャルに使ってもいいんでない、と思うレベル。

ピアノでのブラジル国歌のなんともとろけるような(∩˘ω˘∩ )♡ 聴き惚れてたら、お弁当のおかず焦がした…(´・_・`)#パラリンピック #開会式

パラリンピックの開会式で、ピアノによる国歌に聴き惚れてたら、演奏してるピアニストは指が委縮する病気なのだと。指元のアップのシーンを良く見たら、左手の親指と人差し指と、右手の親指だけで弾いていた。最低限の音数だけど、素晴らしい演奏だった。

パラリンピックの開会式、ピアノで指二本だけを使って弾いてるブラジル国歌が素敵すぎて泣ける

NHKリオ、パラリンピックの開会式。ブラジルの国旗掲揚。ピアノを弾いている方は指が萎縮する病気にかかったことで一時はピアノを断念されたそうです、が…なんて美しい音色なんでしょう。。

パラリンピック開会式冒頭でグランドピアノ弾いてたピアニストの演奏が素晴らしかった。音楽性ってテクニックとは異なる次元に存在するんだな。。

パラリンピックの実際の動画は権利の関係上直接リンクできませんが、同じアレンジのブラジル国歌の演奏動画がありました。
美しすぎるピアノソロ「Hino Nacional Brasileiro」は動画の46秒から。

地元紙によると、マルチンス氏は開会式前、「ブラジル国歌は世界でも美しい国歌のひとつ。ゆっくりと弾くことで、その美しさを感じてほしい」などと話していた。

演奏者はジョアン・カルロス・マルチンス氏

ジョアン・カルロス・マルチンス
1940年6月25日、サンパウロ生まれのピアニスト、指揮者。

グレン・グールド以降で最良のバッハ弾きとも評されるブラジル出身のピアニスト、ジョアン・カルロス・マルティンス

パラリンピックの開会式でブラジル国歌「Hino Nacional Brasileiro」を、右手の親指1本、左手の人差し指と親指2本で演奏したジョアン・カルロス・マルチンス氏は、かつてバッハ弾きとして世界的にその名を鳴らす名ピアニストでした。

彼が、パラリンピック開会式で “たった3本の指で” ピアノ演奏をするようになった経緯とは…。

かつてはクラシックの名ピアニストだった

若き日のジョアン・カルロス・マルチンス。

バッハを演奏する世界最高のピアニストの一人として知られていた

1980年代-1990年代にかけて 米 CONCOERD レーベル傘下のクラシック部門 "CONCORD CONCERTO" へ多くのバッハ(全15点19枚?)をピアノで録音し、それらは日本でもアメリカ系の大手販売店を中心に流通、一大ブームを巻き起こした

 

彼の演奏は全く驚くべきものです。多分にヴィルトゥオージティを感じさせながら、自在なテンポ感、フレーズの豊かさ、ダイナミックさと繊細さを兼ね備えたタッチ・音色はまるで怖いもの知らずの石川遼のゴルフのようで、空恐ろしさを通り越して痛快ですらあります。

マルティンスのピアノは極めてタッチが強く、紡ぎ出される音ははっきりとして切れ味が良い。

これほど伸びやかなバッハがあっていいのでしょうか?ルフェビュールやボヴェとも違う、やはりこれは若さの特権なのでしょうか?あまりにも爽やかな平均律・・・第一巻の1番が奏されるや聴き手の意識がほぐれていくのを感じます。時に“やんちゃ”なフレーズも顔を見せるのですが、何故か憎めないのです。

http://ml.naxos.jp/album/LAB7001 ジョアン・カルロス・マルティンスのバッハの平均律。新規参加レーベル、聞かないピアニストということで、何気なしに聞いて驚いた。自由奔放。異色な演奏だ。このピアニスト、何者だ? 今まで聞いた平均律で上位に入る腕前だぞ。

ジョアン・カルロス・マルティンスというピアニストは1940年生れのブラジル人で、バッハを得意にしていた。と言うよりバッハの専門家であったらしい。 私は実演を聴いた事がないが、残されたバッハの音源は全て聴いている。とてもいい。もちろん、パルティータも平均律も素晴らしいのである。

将来を嘱望されたNo1若手ピアニストに起こった悲劇

出典i.ytimg.com

ジョアン・カルロス・マルチンスは1954年にピアニストとしてプロデビュー。
1960年にはカーネギーホールでの公演も行い、1979年から1998年にかけてJ.S.バッハの全作品のレコーディングに取り組むなど、バッハ弾きとして活躍した。

1965年、サッカーの試合中に倒れ、右腕の神経を損傷し、3本の指に障害をのこしたため30歳までピアノを弾くことができなくなった。

音楽のキャリアを諦めなかった彼は1979年から1985年まで、ピアニストとして復活するためにバッハの作品を記録に残すいくつかのプロジェクトを行った。以後、ピアニストとしてバッハの演奏にその生涯を捧げるようになる。

1995年5月20日、ハンガリーのブダペストで暴漢に頭を鉄の棒で殴られ、頭蓋骨と脳を損傷。右手の自由を失った。

右手の機能回復のための多くの治療、リハビリを受けた彼は、1996年にアメリカ交響楽団のソリストとして見事に復帰を果たした。
しかし、彼の腕は再び問題となり、新たな外科治療が必要だった。

2000年の初めに右手の手術が失敗に終わり、彼の右手はほとんど機能を失った。
ピアニストとして完全な引退を余儀なくされたが、マルティンスは左手と右手の指1本で演奏することを続けた。

指に重度の生涯を負ってしまった天才ピアニストは、それでもピアノを弾くことを諦めず、70代半ばにしてパラリンピックで国歌を演奏する大役をやり遂げた。

彼はそのキャリアを通して怪我や挫折に苦しめられたが、驚くべき忍耐と意志を示し続けた。

現在は指揮者として活躍

現在、ジョアン・カルロス・マルチンスはオーケストラの指揮者として音楽にその身を捧げている。

怪我や事故によってコンサートピアニストとしてのキャリアを脱線してしまったが、その後カーネギーホールで絶賛されたコンサートをはじめ指揮者として世界中の公演で数百人の演奏家をまとめ、成功をおさめた。


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