ミャンマー新政権、少数民族との対話難航
2016-09-12 11:55:01 From:日本経済新聞社 コメント:0 クリック:
■歴史的な会議にちなんで命名
銀細工と羽飾りをあしらった冠があでやかなシャン族の少女たち、丹前のような全身ブルーの衣装が鮮やかなモンラー地方の中国系少数民族の青年、牛の角で飾られた高い帽子をかぶったナーガ族の老人――。8月31日、首都ネピドーの国際会議場は原色の民族衣装にあふれ、百花繚乱(りょうらん)の華やかな雰囲気に包まれた。
この日、5日間の日程で幕を開けた「21世紀のパンロン会議」。1947年、シャン州パンロンで、多数派ビルマ族と主要少数民族が、独立に向けた共闘と民族間の平等を保障した連邦制創設で合意した歴史的会議にちなみ、名付けられた。ミャンマーは翌48年、独立を達成したが、直後からビルマ族主体の中央政府の支配に反発するカレン族が蜂起。60年代までに戦火は全土に広がり、半世紀にわたり20以上の少数民族武装勢力が国軍と衝突を繰り返す長期の内戦に突入。前テイン・セイン政権時代の2015年10月、8勢力との停戦にこぎ着けたが、なお10勢力以上が未停戦だ。
スー・チー氏は3月末の新政権発足直後から今回の会議を構想。前テイン・セイン政権時代に停戦に合意した8勢力に加え、未停戦の10勢力も招待する“全土停戦”にこだわった。「我々が一つになることで初めて平和は訪れる。平和になって初めて他国と同じ地点に立つことができる」。会議冒頭のスピーチでスー・チー氏はこう述べ、内戦の終結が最優先事項であるとの考えを明らかにした。
■全土停戦を公約に掲げる
少数民族問題はスー・チー氏にとって実の父である故アウン・サン将軍から託された宿題だ。47年のパンロン会議は独立運動の指導者だったアウン・サン将軍の呼びかけで実現したが、直後に将軍が暗殺されたことでパンロン協定はほごにされた。スー・チー氏は新政権の公約で、全土停戦とパンロン協定の履行を冒頭に掲げた。参加者のあまりの多さに3回に分けて行われた記念撮影で、最前列中央に座ったスー・チー氏は長い撮影時間の間、まっすぐ前を向き、笑みを絶やさなかった。その視線からは亡父の遺志を受け継ごうとする強い意欲がにじんだ。
だが、会議は最初からつまずく。2日目、有力武装勢力のワ州連合軍(UWSA)が突如、他の少数民族との間の「待遇の不平等さ」を主張し、会場を立ち去るという事件が起きた。UWSAは未停戦10勢力の内の1つだが、入場手続きの際、オブザーバー資格の参加証を渡され、そのことに激高したという。「ただの手違い。彼らには他のグループと同様の資格があることを繰り返し伝えたのだが…」。事務方の責任者、キン・ゾー・ウー氏は困惑気味に語る。スー・チー氏もトラブルについて「誰も責めてはいけない」と平静を呼びかけたが、祝祭ムードは吹き飛んだ。
UWSAは少数民族問題の複雑さを象徴する存在だ。中核のワ族は中国と国境を接する北東部シャン州を本拠とし、1960年代から中国共産党の支援を受け、中央政府と武力闘争を続けてきたビルマ共産党(CPB)傘下の1グループが母体だ。1988年に軍事政権が発足し、中国との関係が強化されると、形勢不利を察したワ族は突如、CPBから離脱し、軍政と停戦した。他の少数民族に先んじて停戦に踏み切ったことで、UWSAは大規模兵力をほぼ無傷のまま維持することに成功。さらに停戦の恩典として、支配地域は高度な自治が認められた。現在UWSAの兵力は約3万人。中国から調達した高性能の装備もあり、その戦闘力は突出する。本拠地のパンサンには中国資本も参加するカジノが建ち並び、国境貿易の利権などもあり経済力も強大だ。
前政権時代に始まった政府と少数民族との和平交渉にも、UWSAは「停戦が成立している」ことを理由に参加しなかった。すでに確立していた特権が脅かされることを嫌ったとの見方が強い。今回スー・チー氏は会議開催に先立ち、UWSAと事前会合を持ち、停戦参加を直接要請するなど格別の配慮をはらったが、努力は報われなかった。UWSA同様、中国と関係が近く国軍と激しい戦闘を繰り広げてきたミャンマー民族民主同盟軍(MNDAA)など3勢力についても、国軍の反対で参加が見送られた。少数民族の間でも立場の違いが大きいことが感じられる。
■国家分裂の火種にも
肝心の会議も議論の中身は実りのあるものとは言い難かった。2日目には約10の少数民族の代表が順番に壇上に立ち、停戦に対するそれぞれの立場を主張した。カレン民族同盟(KNU)のパドー・ソー・ター・ドー・ムー氏は「各民族が独自の憲法を起草する必要性」に言及。アラカン民族党(ANP)のエイ・マウン氏は「資源開発権益と税源の移譲」を求め、モンラー地方の少数民族を代表したチィ・ミン氏は「独自の司法権」を要求した。
もともと少数民族との内戦が半世紀の長きにわたったのは、停戦後の政治体制を巡り、広範な自治権を求める少数民族側の要求に、政府側が折り合えなかったことが大きい。今回、スー・チー氏はいったんすべての争点を棚上げにすることで、多くの武装勢力が停戦交渉のテーブルにつくことを優先したが、一方で少数民族側の期待が大きくなり、率直に要求を訴えるようになった。とはいえ今回の会議は、それぞれのスピーチに対して、他の参加者が意見を述べる機会も与えられず、「少数民族側の要求の多様さを確認するだけに終わった」(外交筋)との声もある。
ANPなどはかねて、地方政府の首相ポストを要求しているが、現行憲法は州首相は、大統領が任命すると明記しており、少数民族側の要求に応えるには、「憲法改正が必要になる」(現役閣僚)との見解が一般的。少数民族が多く住む北部国境地帯は、スズやヒスイなど鉱物資源の宝庫だが、これらの権益はかつては軍事政権の財源であり、現在も軍政と親密だった中国系企業や国内政商が利権を持つ。少数民族側が要求する資源開発権益の移譲は、この利権構造に抵触し、強い反発が予想される。
結局、会議は「少数民族が一堂に会した」ことだけを収穫として、当初予定より1日短い4日間で終了した。21世紀のパンロンは今後も半年に1回の頻度で開かれるが、課題解決に向けた意見調整などは、すべて次回以降の会合に持ち越された。
「見せかけの行動が危機を解決することはなく、真摯な共感だけが、意見の相違を克服できる」。閉幕のスピーチでスー・チー氏はこう述べた。今回の会議を途中退席したワ族を含め、これまで国軍の力に抑圧されてきた少数民族の要求がエスカレートし、スー・チー氏がその統制に失敗すれば、国家分裂の火種をまくことになりかねない。
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