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日本の「産業遺産」申請、侵略史正当化がねらい?
2015-04-06 11:30:30   From:中国網日本語版   コメント:0 クリック:

世界遺産登録などを話し合う今年の第39回世界遺産委員会は6月28日から7月8日までドイツ・ボンで開かれる。安倍政権はこの会議で、「明治日
世界遺産登録などを話し合う今年の第39回世界遺産委員会は6月28日から7月8日までドイツ・ボンで開かれる。安倍政権はこの会議で、「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」の登録成功に向けた取り組みを行っている。日本の首相官邸ホームページでもこの事業は大きく扱われている。表面的には「産業遺産」登録の話にしか聞こえないが、近代日本の殖民統治や拡張、野蛮な侵略を正当化しようという意図が隠されているとの見方もある。

根拠はいくつかある。第一に、敏感な時期と重なっていること。安倍政権は2015年に「明治日本の産業革命遺産」の登録を成功させたいとしているが、「日清戦争」(中国語名:甲午戦争)の勝利120周年、日露戦争の勝利110周年の時期とも重なる。

第二に、申請遺産の中身にも疑わしい部分が含まれている。「産業革命遺産」は鉄鋼や造船、石炭などの各産業にまたがり、日本海軍の三重津海軍所跡や下関の前田砲台跡、さらには「三菱重工業長崎造船所」内の複数の関連資産が含まれている。この造船所で建造された神風型駆逐艦「白露号」は1937年の淞滬会戦(第二次上海事変)に参加した。戦艦「霧島」は真珠湾奇襲に使われ、戦艦の「日向」や「武蔵」は日本海軍の連合艦隊の旗艦だった。また「天城」は、戦争中に破壊された空母としては日本さらに世界でも最後のものとなっている。

兵器を直接生産していた長崎造船所のほか、「産業革命遺産」には福岡県の「旧官営八幡製鉄所」も含まれる。甲午戦争後、日本政府は中国の賠償金のうち2000万円近くを創設資金とし、ドイツから設備と技術を導入し、戦前の最大の国営製鉄所である八幡製鉄所を設立した。日本政府はこの製鉄所の生産の中心が、砲台や軍艦材料、速射砲弾素材などの兵器であることをはっきりと指示している。資料によると、1905年から1945年までの40年間で日本は中国撫順から2億トンの良質な石炭を持ち去ったが、これらの石炭はこの製鉄所に注ぎ込まれた。また1938年に中国侵略日本軍が湖北大冶を占領すると、現地の鉄鉱が集中的に採掘され、7年間で420万トンの良質な鉄鉱が略奪された。鉄鉱はやはりこの製鉄所に送られた。第2次大戦中、日本軍が使用した戦艦や戦車などの大型兵器には八幡製鉄所で生産された鋼材が大量に使われていた。甲午戦争の賠償金で作られ、日本の侵略・拡張の歴史において重要な役割を演じた製鉄場を、安倍政権は、日本が「非西欧地区で最も早く工業化した国家」となった有力な証拠として喧伝しているのである。
  第三に、この世界遺産申請は「産業遺産」と銘打っているが、日本近代の侵略・拡張の元凶となった人物をたたえる要素がある。申請資産の一つに「松下村塾」という学校がある。徳川幕府末期に作られたこの学校では、明治時代の数々の中心人物が養成された。甲午戦争の元凶となり、最初の韓国統監を務めた伊藤博文や、甲午戦争の日本陸軍第一軍司令官で「日本陸軍の父」とも呼ばれる山県有朋などである。

申請されている遺産には、九州地方の福岡・佐賀・長崎・熊本・鹿児島の5県と、本州の山口・岩手・静岡の3県が含まれる。申請遺産名で山口県が九州地方と並んで記されているのは、「明治維新の胎動の地」と呼ばれる松下村塾が山口県にあるためである。山口県は「政治の県」である。日本の歴代62人の首相のうち9人が山口県出身で、その数は各都道府県の最高となっている。伊藤博文や山県有朋のほかにも、甲午戦争期間に日本陸軍第3師団長を務め、後に台湾総督となった桂太郎、甲午戦争時に日本の運輸通信長官を務め、初代朝鮮総督となった寺内正毅、「支那を征服せんと欲せば、まず蒙満を征服せざるべからず、世界を征服せんと欲せば、まず支那を征服せざるべからず」という上奏文を提出したとされる田中義一、さらに安倍晋三とその外祖父で第2次大戦A級戦犯容疑者の岸信介、岸信介の弟の佐藤栄作もいる。松下村塾の展示館にはこれらの人物の蝋人形がずらりと並んでいる。彼らも松下村塾の一部として、「明治時代の産業革命遺産」の名の下に「世界遺産」のほまれにあずかろうとしているのか。

ユネスコ内の遺産保護リストには主に、「世界遺産」と「無形文化遺産」、資料・文献の保護を目的とした「世界記憶遺産」の3種がある。このうち知名度と影響力が最も高いのは世界遺産である。2014年までに世界で1007カ所が世界遺産として認定された。これには北京の故宮もあれば、エジプトのピラミッドもあり、インドのタジ・マハールなどの人類の生み出した奇跡もあれば、四川省のパンダ生息地や米国のイエローストーン国立公園などの自然の宝もある。シルクロードのような異なる文明の疎通の紐帯もあれば、黒人奴隷貿易の象徴であるセネガル・ゴレ島のような「負の世界遺産」もある。

「負の世界遺産」は少ないが、論争のあるものが多い。このうち第2次世界大戦にかかわるものは現在、2つしかない。一つは、ポーランド国内にあるナチス・ドイツのアウシュビッツの収容所である。この「負の世界遺産」は世界に受け入れられており、第2次大戦の欧州の戦地の罪悪の象徴となっている。一方、日本が1996年に申請した広島の原爆移籍は論争がある。「広島の平和記念碑」と名付けられたこの遺産は、原子爆弾の残酷さを伝え、国民の悲しみの情に訴えるもので、第2次大戦のアジア太平洋の戦場の暴力の象徴とされている。だが広島が、日本が中国戦略の戦争を起こした際の軍力の集結と出発の地となったことは知られていない。第2次大戦期間、日本陸軍の運輸部や工兵作業場、当時日本で最重要の軍事企業だった三菱重工はいずれもここにあり、広島は日本の「軍都」でもあった。第2次大戦終結から半世紀以上がすぎ、日本は原子爆弾の投下跡を世界遺産とすることに成功し、毎年繰り返される記念活動も手伝って、広島が日本の「軍都」であった過去は忘れ去られ、平和の象徴となった。

そうなると加害者がいつの間にか被害者となり、邪悪と正義とが入れ替わってしまうことになる。中国が2014年6月、南京大虐殺や慰安婦などの貴重な歴史的資料を世界記憶遺産に申請することを発表すると、日本内閣官房長官の菅義偉は、中国が「ユネスコを政治的に利用し、日中間の過去の一時期における負の遺産をいたずらにプレーアップしていることは極めて遺憾」とこれを批判した。中国外交部の華春瑩報道官はこれに対し、「我々は日本側の道理のない申し入れを受け入れることはできないし、申請を撤回することもない」と反論した。だが今回の世界遺産申請を見ても、ユネスコを政治的に利用」しているのは日本自身ではないだろうか。

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