東日本大震災から1年
2012-03-09 15:29:15 From: コメント:0 クリック:
幸福の黄色いハンカチ
取材を受ける貴田喜一さん
1970年代、《幸福の黄色いハンカチ》という日本映画が一世を風靡した。高く掲げられた連なる黄色いハンカチは「帰りを待っていた」気持ちを表現している。そして、道に迷った人に戻るべき家の方向を示すものだ。今、“3 11”東日本大震災の津波で深刻な被害を受けた仙台市若林区荒浜の廃墟に、この映画そっくりの電信柱に黄色いハンカチがはためいており、目を引いている。
“3 11”東日本大震災が発生し、仙台市はこの地域を危険区域に指定し、現地住民の移転を予定していた。名古屋市のボランティア機関との協力で、一部この土地に残りたい人が自主的に「希望の黄色いハンカチ大作戦」を始めた。彼らは、津波で破壊された自宅跡に黄色いハンカチを掲げ、この土地に再び家を建てるという決意を表現している。この黄色いハンカチには、日本各地の彼らに対する励ましの言葉が記されている。
貴田喜一さんは率先して自分の土地に「希望の黄色いハンカチ」を立てた参加者の一人。この土地で彼の家族は十数代に渡り生活してきた。ここの海風と共に67年間の人生を過ごしてきたので、この地から離れがたいという。
看板には「荒浜の再生を心から願う」と記されている。

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