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戦中戦後 画家の苦闘に光
2016-08-15 15:34:28   From:日本経済新聞社   コメント:0 クリック:

各地で美術展、表現の重み伝える
戦中戦後の日本美術を再考する展覧会が各地で開かれている。戦中の創作活動に光を当てながら、戦争の時代を生き抜いた作家精神に注目した企画が目立つ。

 名古屋市中区の名古屋市美術館で9月23日まで開催中の「画家たちと戦争」展。36歳で早世した松本竣介の代表作11点が中央の壁にずらりと掲げられている。その両側に、日本画の巨匠、横山大観の富士の絵9点と、洋画の大家、藤田嗣治の乳白色の裸婦像や戦争記録画の大作など9点が並んだ(横山大観は25日から福田豊四郎に展示替え)。

 日中戦争から敗戦までの1937年~45年を挟んで、その前の時代から戦後期に至る創作活動を、14人の画家ごとに見つめる企画である。「彼らはいかにして生きぬいたのか」という副題通り、戦前、戦中、戦後の時代を画家たちがどう生き、その体験をどう表現に生かしたかを、作品から探る。大家を差しおき、竣介の作品を会場中央に据えたのは、その戦中戦後の画業への注目からである。

「私」を守る自画像

 「立てる像」(42年)は竣介の代表作。今展を企画した名古屋市美術館の山田諭氏は、この絵が全身を描いた単独の自画像である点に着目する。「何者でもないただの一人の男として」大地を踏みしめて立つ自分を描く。すでに前年、日本は米英との戦争に突入し、国は「滅私奉公」を国民に強いる。この時期に単独の自画像を描くのは「『私』を守るために画家に残された貴重な方法ではなかったか」と山田氏は言う。

 一方、戦争に協力した画家たちの仕事を、それだけで批判するのではなく、前後の画業から、丁寧に見つめ直している点も特徴だ。

 山口薫は、具象的な題材を描き、抽象性を感じさせる独自の画風を築いたモダニズムの画家。43年の「銃」は、現実の軍隊に取材した作品だが、朱色のデリケートな色彩感と、銃身を重ねた幾何学的な構成に、抽象的な造形感覚がある。山口は数少ない戦争画でも独自の表現を追究した。

 展示は戦前戦中から戦後へとつながる画業の継続性に目を向けた。数々の戦争記録画を描いた宮本三郎は戦後、「死の家族」(50年)で焼け跡で死んだ男と、それを嘆き悲しむ家族の姿を描いた。宮本の戦争記録画「シンガポール英軍の降伏」(43年)の後にこの絵を見ると、その戦争で命を落とした人々に対する深い鎮魂の思いが伝わってくる。

 シベリアでの抑留体験を描くまでの香月泰男の画業の変遷からも、過酷な体験をした画家の精神の歴史が浮かび上がる。

 「個々の画家が戦争体験をどう継承して戦後を生きたのかを示したかった」と山田氏。「戦争と画家たち」ではなく、画家を主役に「画家たちと戦争」という題名を冠したのは、そのためでもある。

食糧難の実相写す

 画家を軸に時代をとらえるアプローチは、9月19日から11月3日まで群馬県立近代美術館で開かれる「戦後日本美術の出発 1945―1955」展にも共通する。副題は「画家たちは『自由』をどう表現したか」。戦後自由を得て、自己を見つめ直した画家たちの10年にわたる絵画表現をたどる。松本竣介、鶴岡政男、山口薫、福沢一郎、岡本太郎、山下菊二など20人近い画家の作品が並ぶ予定だ。

 三重県立美術館で9月27日まで開催中の「20世紀日本美術再見 1940年代」展は、戦中戦後の10年間の美術の動向を、絵画、彫刻、工芸、写真、建築など多分野にわたり通覧した。鶴岡政男「重い手」(49年)や、井上長三郎「東京裁判」(48年)といった戦後絵画の名作とともに、防空壕(ごう)での暮らしや戦後の食糧難の実相を写した写真が、苦難に満ちた時代を生々しく伝えている。

 これまで紹介した戦中戦後の芸術の歩みからは、厳しい統制や苦しい生活の中で表現の道を懸命に探った作家たちの苦闘の歴史が見えてくる。表現の自由の重みを、確かな手応えで伝える展覧といっていい。

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