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「尖閣諸島と日中関係改善」
2013-05-27 09:25:57   From:人民日報海外版.日中新聞日本語版560号   コメント:0 クリック:

(社)日中青年交流協会理事長 鈴木 英司


 野田首相は昨年9月11日、「尖閣諸島」のなかの釣魚島、北小島、南小島の3島を個人所有から国が購入すると発表した。今回の対応は、石原都知事の提唱通り、もし東京都がこれを所有することになれば、ここに灯台等の施設を建てるなどの行動に出る可能性が強く、それによって中国との間で摩擦が生ずる恐れがあるので、それを防ごうというものだった。 
 しかし、これに対して中国外交部は9月11日「声明」を発表し、「中国政府は領土への主権侵害を座視しない」との強い抗議を行った。政府による「国有化」決定により、日中関係はこの40年間で経験したことのない危機に遭遇した。
 そして中国各地において「反日」デモが行われ、一部では強奪や放火等に予期せぬ事態が発生し、国内外から批判を浴びた。これについては別の機会に譲ることとし、本稿では野田内閣の問題性について述べたい。

1.中国に対する認識の欠如

 野田首相は、一昨年中国政府に対し12月13日に訪中したい旨を提案。中国側との調整により実際には12月25日の訪中となったが、それは12月13日が南京大虐殺(1937年)勃発の日であることから、中国側による日程変更の提案は当然のことであった。それに続き、今回の「国有化」を発表したのは7月7日蘆溝橋事件勃発(1937年)の日、そして「閣議決定」をした9月11日は9月18日に勃発した柳条湖事件(1931年)の直前である。それらの日は、中国では日本の侵略による「国恥日」として永く人々の間に定着しており、常識ある政治家なら当然わかるはずである。野田首相の歴史認識は一体どうなっていたのであろうか。
 これらをみると、野田首相の歴史感覚が明らかに欠落していたことがうかがえる。それとも、あえて中国を挑発して日中関係を崩壊させる意図があったのであろうか。これらを中心になって進めたのは、藤村官房長官、長浜副官房長官、長島総理補佐官だという。
 彼ら側近はもちろん、外務大臣等がこれらについて何の認識もなかったとしたら、それは驚くべきことである。
 また、野田首相がAPECの会場で胡錦濤主席と「立ち話」をした際「戦略的互恵関係の強化」を説いたが、その2日後に「国有化」を閣議決定したことは、中国側の大きな反感をかった。胡主席はこれに「面子をつぶされた」と激怒したという。この「立ち話」は、当初から日本側と会談をしたくない中国に対し日本側から持ちかけたものであって、決して偶然のものではない。このような相手の立場を考えない無神経、無頓着な姿勢は「独りよがりの外交」と批判されても当然であろう。

2.「係争地」と認める
ことが解決の第一歩
 
 野田首相は、「国有化」閣議決定の直前、「総理親書」を持参させて杉山真輔外務省アジア大洋州局長を北京に派遣し、中国側に「国有化」の意図を説明したのだが、中国側は全く聞く耳をもたなかった。この処理は、もはや役人ではなく、責任あるポストを有する政治家がしなくてはならない。日本政府は、国交正常化の際の田中・周恩来会談、1979年の鄧小平の提案=棚上げ論までの経過から何も学んでいない。
 日本政府は「日中間に領土問題は存在しない」として「尖閣諸島」問題で話し合いに応じる気はないようだ。唐家セン・中日友好協会会長は、8月29日、北京での日本の学者たちとのシンポジウムの席上、「争いがあることを認めて、対話と交渉によって解決すべきだ」と提案し、日本との違いを明らかにした。
 「日中間に領土問題は存在しない」との主張をこれ以上することは、現実的ではない。日本はこの際、実態から乖離した強弁をやめ、係争を認めたうえで「問題解決」のための方策を模索すべきだと考える。


鈴木英司理事長プロフィール
 1983年に中華全国青年連合会の受入れにより初訪中。以降、訪中歴は約200回。その後、6年間にわたって北京外国語大学他3大学で教鞭をとる。現在、一般社団法人日中青年交流協会理事長、北京市社会科学院日中関係研究センター客員研究員。著書に「中南海の100日―日中国交正常化」他翻訳書あり。

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