中国語  日本語
ホーム > デジタル記事 > 記事全文

三線と民謡で沖縄から世界に平和を
2013-06-06 14:05:47   From:篠原功   コメント:0 クリック:

琉球民謡歌手 本竹裕助さん三線と民謡で沖縄から世界に平和を力強い奏法、豊かな声量が魅力バンドを編成、世界各地を周る 沖縄で三線(サ...

琉球民謡歌手 本竹裕助さん

三線と民謡で沖縄から世界に平和を

力強い奏法、豊かな声量が魅力
バンドを編成、世界各地を周る

 沖縄で三線(サンシン)を奏でながら、沖縄民謡を歌う有名人がいる。本竹裕助さんがその人だ。力強い奏法、豊かな声量は65歳という年齢でも全く衰えを感じさせない。沖縄料理のレストランを経営し、1日数回のステージを精力的にこなす。そのパワーの源には日頃の地道な鍛錬があった。
 本竹さんが三線と出会ったのは4歳から。出身地の与那国島には当時、有線放送が流れていたが、家には受信機がなかったため、琉球民謡が流れる12時半には親に連れられて受信機のある村民の家に足を運んだ。ただ琉球民謡を聴くだけだったが、力強い三線の響きと歌声にいつしか惹かれていった。
 小学生になると筆箱や味噌缶を利用して三線もどきの楽器を作り、演奏するようになった。与那国島は台湾に近い。しかし、三線という楽器はなかったが、大人になるにつれ、三線と琉球民謡の魅力にどんどん惹き込まれていき、三線奏者としてめきめき頭角を現していった。
 現在の本竹さんはまるでエレキギターのように三線を奏でる。演奏を聴くと、すぐに「三線界の寺内タケシ」というフレーズが浮かんだ。このような力強い奏法を確立したのは、今から26年前。ロック、ジャズ、クラシックのプロバンドと組んで、日本国内だけでなく、世界中を演奏して歩いた。

三線と琉球民謡のために身体鍛錬
いつも「パワー全開」なステージ

 「今でも強烈な印象に残っているのは、メキシコで『ブラボー!』という声でいっぱいになったこと。メキシコは熱い国。沖縄の琉球民謡とどこか通じるものがあるらしく大反響があり、こちらが驚いたほどだった。ライブが終わって外へ出ると、地元のマスコミ陣が押し掛け、その周りを3000人近い人でいっぱいになった」と本竹さんは懐かしそうに振り返る。
 15年前に沖縄コンベンションで開かれた中韓台などを含むアジアミュージックページェントin沖縄へ招待したいと要請され、サックス、ベース、ギター、ドラムなどと三線が組んで琉球民謡を演奏し、大変な脚光を浴びたという。
 いつも力強い三線を奏で、パワフルに沖縄民謡を歌う。その秘訣は「健康」と即答された。まず、早寝・早起き、そして腹筋を鍛えるため毎朝100回の腹筋運動を欠かさない。さらに120キロのベンチプレスだって軽々と持ち上げる。この鍛錬でパワー全開。疲れを感じたことがない。ゴルフだって36ホールをこなし、店の経営と1日数回のステージもパワフルにこなす。
 現在のレストランを経営して8年になる。本竹さんの母には福建省の血が流れている。ちなみに三線の起源は中国南部・福建省由来の弦楽器である三弦(サンシェン)といわれている。伝承では、久米三十六姓が琉球へ帰化した14世紀末以前にすでに琉球に持ち込まれていたとされる。三線はその後、16世紀に入って琉球から泉州(現在の大阪府南部)堺に伝わり、日本全土の三味線の起源になったという。
 現在の本竹さんの大きな願いは「世界中の人が仲良くしてほしいということ。喧嘩をしないで平和になってほしい。とにかく沖縄から世界に向けて三線と歌で平和をアピールしていきたい」と力強く語った。


 


熱に関連する単語の検索:

前の記事:ロイヤル チエ コレクション
次の記事:驚異の性能!マイナスイオン発生器「オーリラ」

分享到: 收藏