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戴峰博士 ノーベル生理医学賞に2度ノミネート
2013-08-07 12:34:15   From:篠原功   コメント:0 クリック:

戴峰博士(ドクター中村)ノーベル生理医学賞に2度もノミネート【リード文】 国際的有名な科学者、地球物理学と抗癌、アンチエイジングの...



戴峰博士(ドクター中村)

ノーベル生理医学賞に2度もノミネート

【リード文】
 国際的有名な科学者、地球物理学と抗癌、アンチエイジングの日本籍の中国係科学者の戴峰博士は、先月25日、マカオで開かれた「2013年国際抗腫瘍薬治療サーミド」大会で「抗癌研究貢献大賞」を受賞した。

独学頑強な科学者が日本と縁結んだ

【本文】
■戴博士に名誉大賞
 今回のこの受賞は、アジアを中心に各国の医療現場や各大学の研究機関で癌治療法および抗癌薬研究のなかで重要な研究成果や貢献度の高かった研究者に授与されるもの。マカオ特区政府とマカオ基金財団、マカオ霍英東基金会が共に今回のサーミド大会の主催スポンサーで、参加者は日本、中国、香港、韓国、台湾、シンガポール、マカオなどの政府医療責任者、癌治療現場の臨床医師や大学研究者など関係者500人ほどが参加した。今回の受賞は3人で、日本は戴峰博士がこの名誉大賞を受賞した。
 戴峰博士は、地球物理学者、生物医学科学家、[N-T21]万能蛋白(細胞老化抑制蛋白)とDDS標的生物抗癌酵素CCDP―53の研究者、さらに2003年、世界唯一「マカオだけは(SARS)感染流行はあり得ない」と研究発表し、世界を驚かせた研究者であり、2006年度と2012年度のノーベル生理医学賞ノミネートである。彼の実績を紹介しながら、その人となりに迫った。
■地震予知モデル学ぶ
 戴博士は1960年、上海生まれ。彼が最初に取り組んだのは、1980年代初頭から始めた中国科学院・呂炯博士(当時)の地震予知モデルを学び、さまざまな文献を読みあさった。
 世界中のこの分野の権威といわれる学者の論文などを読んでいくうちに東大地震研究所の丸山卓男教授の地震研究論文に高い関心を示した。学術的な考えが近かったからだ。すぐさま丸山教授に自分の得意とする領域の論文を送った。26歳の時だった。
 この論文で戴博士が特に強調したのは「現在の地震予知研究の方向性は間違っている。将来は新しい領域の研究で道が開かれる」というものだった。「私の論文を読んでくださった丸山教授は非常に高く評価され、奨学金を出して日本に呼んでくださった」という。
 
サハリン大地震予知警報を見事的中

■東大地震研究所に
 東大地震研究所は、世界一の地震研究の権威だったが、実際に研究所の実情を知ると、研究の構想や方向性が戴博士の考えとは異なり、彼の志向する研究ではなかった。
 その後、社会教育分野を幅広く学ぶため福島大学に移籍した。そのため地震研究は次第に疎かになっていたが、1995年に阪神・淡路大震災が発生した。この地震をきっかけに戴博士は「自分が学んだ前兆研究方法を活かしたら、このような大地震を予知できるのではと痛感した」という。
 そこで戴博士は、地震関連の研究が進んでいる東北大学で地震予知の研究をすることになった。ただ、同大には戴博士が希望する専門の予知カリキュラムがなかった。そこで彼は教授、学部長らを説得して、遂に研究テーマを創設してもらい、研究グループの主任研究員として本格的な研究が始まった。
 「24時間以内に日本最北部から広い地域にマグニチュード6以上の地震が起きる。震源地が遠いからこそマグニチュード規模が大きい」――戴博士の鋭い分析力が初めて本領を発揮した。1995年5月29日、午後7時15分頃、戴博士の研究グループがさまざまな観測データ・情報を分析し、通信社と気象台に緊急地震警報を発した。
■地震予知見事に的中
 その地震予知は見事に的中した。23時間後、日本の北部上位置のサハリンでマグニチュード7・3の大地震が発生した。「警報を出したのは事実だが、科学的因果関係はないのか、学会は偶然と片付けるのはお粗末だ。国を挙げて真剣に科学研究検証が必要ではないか」と戴博士は語った。
 当然、この前代未聞の地震予知は「世界初」ということで国内外のマスコミが競って報道し、高い評価を得たものの、権威主義にまみれた学者たちのジェラシーによって研究費の支給はなく、結局、自腹で研究を続けることになった。
 悪戦苦闘の研究活動のなかでその後、戴博士は世界初の「プレート限界線断層」学説を発表し、96年度の日本地震学会の論文集にも世界初の広観物理学前兆の二つのピーク研究成果が紹介された。このことによって戴博士は地震研究の新たな分野の先駆者として高い評価を得た。

東方的哲学思想で多領域を科学研究

■研究分野は多種多彩
 戴博士の研究は狭い領域にとどまらない。一つの研究は他の分野に自在に連鎖し、新たな研究成果を上げていった。近年、抗老化と抗癌生物薬学の領域における研究実績も挙げられる。戴博士はそれらの分野における国際的権威としての名声が確立しつつある。
 戴峰博士の研究に対して世界中の大学機関や研究所と多く学者が協力をした。メンバーの名前を挙げると、これまで昭和薬科大学、千葉大学、中国薬科大学、EU・LIEGE大学、ニューイングラン大学、香港大学、台湾南台科技大学、清華大学、澳門科技大学、アメリカヒューストン医科大学など多くの権威学者枚挙に暇なし。また客員研究者として、米国のポートランド大学、ベルギーのリエシュー大学など世界的に権威ある研究機関との学術交流も盛んに行っている。
 特に、免疫と抗癌ガンに関する研究分野においては、化学抗癌剤による副作用を低減する生物製剤の研究開発に取り組んでいる。1997年に昭和薬科大学の研究グループの共同研究で、世界での天然P型樹脂合成物に多く天然抗癌成分を発見し、その後の抗癌研究の緒となった。
■21世紀の抗老化基礎研究
 2001年、千葉大学の特別研究班の協力で、「CCDP―53」 天然複合活性酵素による直接癌細胞に強い抑制効果を証明した。その後、国内外の薬科大学との共同研究でシクロフォスファミド(CTX)が誘発する血液像変化に対する「CCDP―53」を併用したときの血液像が化学療法の毒性反応(体重、血液像変化など)副作用はほどんと見られないことが確認され、西洋抗ガン剤治療に併用「CCD」酵素の新しい手法の優位性の可能性を立証し、学会で多大な注目を浴びている。
 このほかにも、抗老化(アンチエイジング)に関する研究領域においても数々の発見を行っている。世界で初めて昆虫体内の活性蛋白物質を摂取に成功し、それにより、SOD、MDA、LDHなど18項目以上の薬理検証における顕しい抗老化作用を証明され、21世紀の抗老化基礎研究および素材分野に大きく貢献することになった。

異例の独特脅威な科学的感性の一例

■世界驚嘆のSARS研究
 特に大きく評価されるべきことは戴博士の独特脅威な科学的感性の一例で、2003年5月4日の出来た世界的医科学におけるエピソードである。
 戴博士は当時、全人類が震撼した世界的「SARS」(Severe Acute Respiratory Syndrome=重症急性呼吸症候群)流行を背景に独自の地域における伝染流行調査と研究を行った。そして、2003年5月4日に、当時の「WHO」世界健康保健機構や世界の伝染病権威達の基本見解と全く正反対の「マカオ地方だけは(SARS)流行はあり得ない」と世界に驚愕させる研究発表が「マカオ医師会」主催の講演大会で記者会見発表を行った。(2003・5・5「澳門新聞」、MACAU.TV News)
 その発表から十年が過ぎたが、当時、世界に驚かせた戴博士の研究説を検証した結果、見事に発表の通り一致した、マカオだけがSARS感染者は一人も出なかったことが判明したのである。
 「世界医学界の常識と各権威の疑念を乗り越えて、当時、世界で戴博士だけ一人がこのような研究発表をしたことは相当な勇気と科学的自信があるに違いがないだろう。それは現代公衆伝染医学研究の一つ奇跡である」――戴博士のこの新たな環境伝染医学分野の高度な研究に対し、2012年度のノーベル生理医学賞ノミネートの快挙となったことを特筆しておきたい。
 
 

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