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三国志・孫権末裔の村・龍門古鎮
2012-05-24 13:24:31   From:   コメント:0 クリック:

三国志・孫権末裔の村・龍門古鎮 南宋の面影残す河坊街歴史文化街









 

【花港観魚】鯉と花を観賞する一番良い場所で、江南園林芸術と西洋園林芸術を結びつけた大型の公園である。南宋の時、ここは内侍官盧允昇の個人の庭園で、彼は池を作り、鯉を養殖し、「盧園」と名付けた。南宋の画家は「花港観魚」と呼んだ。清の康熙38年、皇帝御題の碑を立て、面積はわずか1800平方メートルで、石碑とあずまやしかなかった。1956年と1959年数回拡張し、今の敷地面積は20ヘクタールになり、芝生は8万平方メートル、花の栽培面積は1500平方メートルである。珍しい植物が200種と1000本以上の牡丹と芍薬が植えられ、緋鯉が7000匹以上養殖されている。景勝地は御碑亭(盧園旧居)、蒋荘(馬一孚記念館)、紅魚池、牡丹園、紅杉林など。

 【南屏晩鐘】日本曹洞宗と深い関わりがある南屏晩鐘は浄慈禅寺の重要な景勝であり、中にある大銅鐘は10071キログラムもある。鐘楼は最初は明の洪武11年(西暦1328年)に建立され、清の康熙38年、皇帝が命名して、碑を立てた。清の末期には鐘楼は火事で焼かれ、百年もの間に鐘音が消えていた。1985年に日本曹洞宗大本山永平寺は「懐徳祖庭・感恩法乳」という精神で、再び青銅の梵鐘を作り、1986年秋に再び鐘が響き渡った。景勝地は鐘楼、重修鐘楼記、銅鐘、仏殿の建物、運木古井など。
 【雙峰插雲】湖に舟を浮かべ、遠くから山の景色を眺める。南宋の画家は最初「両峰插雲」と題し、清の康熙38年、皇帝が「雙峰插雲」と改名した。西湖十景の石碑は殆ど西湖の周辺にたっているが、山景色の有名な南高峰、北高峰の高さはそれぞれ259メートルと313メートルで、二つの峰の距離は3・6キロある。景勝地は碑亭、双峰、山色など。眺めるのに一番いい場所は湖心亭。ここから南高峰まで3・5キロ、北高峰まで4・5キロ離れ、両方の視角は50度で全体を満喫できる。
 昼食の後、三国志・孫権末裔の村・龍門古鎮を取材する。「龍門古鎮」の由来は、三国時代の後漢の名士・厳子陵の詩文の「この地が山が青き水が秀麗、呂梁の龍門に」から取った。この村には、「三国志」で有名な呉皇帝であった孫権の末裔が暮らしており、90%以上の村人の名字が孫氏。中国の革命家・孫文も、この村にゆかりがある。
  密集した家並みを縫う狭い道を歩くと、明・清時代の歴史的な建造物などが随所に史跡として残っている。村の農業はトウモロコシ、米、サツマイモなどを栽培している。さらに、回廊のような路地を巡ると孫権を祭る巨大な像があり、明の時代に30カ国と貿易した旗艦船「鄭和宝船」の模型が置いてあった。観光用に蒸留酒の「天子酒」(アルコール52度)や果物などを売る店もあった。
 次いでフーチュン リゾート(富春山居)は杭州郊外の美しい富陽市に位置し、有名な富春山脈、富春川に囲まれている。このリゾート施設は700年経過した絵画の影響を受け、中国本土で最高級のゴルフ、スパ・リゾート施設。近隣の興味深い場所には杭州絹市場ばかりでなく、西湖・杭州市街地、6棟の調和のとれたパゴタが含まれる。
 4月1日午前中は河坊街歴史文化街へ。呉山広場の東西に延びる河坊街は、南宋時代には街一番の繁華街だったエリア。数年前から再開発が進み、現在は呉山広場の東側を中心に、往時の風情を再現した歴史文化街として杭州の新しい観光スポットとなっている。白壁に黒瓦の建物が並ぶ石畳の通りには、骨董屋、老舗漢方店、茶館、飲茶店などが軒を連ねている。昼食後「東京班」と「大阪班」に分かれ、帰国の途に着いた。

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