中国語  日本語
ホーム > デジタル記事 > 記事全文

NPO法人「富岡製糸場を愛する会」理事長 高橋伸二氏
2014-11-26 17:48:00   From:   コメント:0 クリック:

 昨年6月の富士山に続いて今年6月富岡製糸場が世界遺産に登録され、日本中が沸いたのは記憶に新しい。富岡製糸場はこの10月に国宝にも指



 昨年6月の富士山に続いて今年6月富岡製糸場が世界遺産に登録され、日本中が沸いたのは記憶に新しい。富岡製糸場はこの10月に国宝にも指定された。しかし、この栄光の陰にはさまざまな人たちの長年にわたる血の滲むような活動があった。その一人が高橋三兄弟法律事務所を経営し、NPO法人「富岡製糸場を愛する会」理事長を務める高橋伸二氏だ。
 「『富岡製糸場を愛する会』という団体を作り、10年前に世界遺産登録をしようということで行政に働きかけたが、99%の人が『あれがなぜ世界遺産なのか』という質問を投げかけてきた。日本ではあのような古い工場を世界遺産登録にするという発想は全くなかった」と高橋伸二理事長は振り返る。
 日本は江戸時代に200年以上も続いた鎖国の後、開国して外国との貿易を開始した。当時、最も重要な輸出品は生糸だった。しかし、多くの課題があった。緊急課題は品質の悪い生糸が出回っていたことと、生産量不足だった。
 明治時代になると、政府は近代化政策のもと、生糸の品質向上と増産に力を入れ、器械製糸工場の設立を決めた。この工場は日本全国に同じような器械製糸工場を建設するための模範工場となった。全国から工女を募集し、器械製糸技術を習得させ、地元の製糸場の指導者養成の場でもあった。
 製糸場の建設は1871年(明治4年)に始まった。翌72年には工場の主要な建物が完成・操業を開始した。富岡製糸場は日本経済の近代的工場システムの先駆けとなったといえよう。「どこの国もこのような建物は近代化の原動力になった。したがって世界の宝であるといってよい」と高橋理事長。

「郷土の宝」生かした街づくりを
世界遺産の価値再構築、絹見直す

 富岡製糸場は、高品質な生糸を大量生産するために明治政府はフランスから製糸器械と技術を導入した。その後、日本では製糸技術の革新に拍車をかけ、自動操糸機を開発し、その技術は海外にも大きな影響を及ぼした。
 富岡製糸場と絹産業遺産群は、連携して高品質の生糸の大量生産を可能にした。1930年代、日本の生糸生産は世界市場の80%を占めるに至った。このように養蚕と製糸技術を革新・普及させ、世界の絹産業の発展に貢献した普遍的価値が認められというわけだ。
 1987年(昭和62年)、富岡製糸場は操業を停止した。そこで高橋理事長は翌年、数人の有志で製糸場の勉強会を開催した。「ほとんど市民が関心を持たない時代だった」という。また、県が製糸場を世界遺産にする研究プロジェクトを設置した平成15年、一人でも多くの市民の参加を実現させるためNPO法人した。
 高橋理事長は「建物も重要だが、世界遺産の価値を再構築して新しく絹を見直すことを課題として取り組んでいるところ」「世界遺産という郷土の宝を生かした街づくりをどうするか。市民パワーを結集して国や県に働きかけていきたい」と決意を述べた。



熱に関連する単語の検索:理事 法人

前の記事:絵画展「『双覚羅』全世界人類環境対話展」を開催
次の記事:『私と呉昌碩翁の縁』 郭同慶

分享到: 收藏