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日中国交正常化40周年記念事業「2012東京中国文化週間」
2012-07-11 11:13:37   From:   コメント:0 クリック:

 桜美林大学孔子学院と早稲田大学孔子学院、工学院大学孔子学院は6月16日から23日にかけて、日中国交正常化40周年記念事業として「201...

 桜美林大学孔子学院と早稲田大学孔子学院、工学院大学孔子学院は6月16日から23日にかけて、日中国交正常化40周年記念事業として「2012 東京中国文化週間」を開催した(協賛:日本孔子学院協議会、後援:孔子学院本部、中国駐日本国大使館、日本外務省)。期間中、各大学施設で各種シンポ写真コンテスト、「京劇公演」、対談トークショーや「日中大学生・日本語提言コンテスト」が開催されたもの。16日には、桜美林大学孔子学院で開幕式が行なわれ、「日中国交正常化40周年の歩みを振り返って・日中関係の展望」をテーマとする特別フォーラムも催された。工学院大学孔子学院の西園寺一晃学院長をモデレーターにパネル討論が行なわれたもので、パネリストには桜美林大学孔子学院評議員で元日本国駐中国大使の谷野作太郎氏、法政大学教授である王 敏氏、株式会社「大富」取締役社長である張 麗玲氏、そして中国の若者たちの間で人気を博しているコラムニスト、加藤嘉一氏が出席、それぞれ専門の立場から未来の姿を摸索した。

■西園寺一晃氏
 今回、我々が頂いたテーマは大変に大きなもの。先に特別講演された江田先生は、講演の中で漢詩や百人一首を用いられ、ソフトに、かつ深く日中関係を語られたが、我々は出来うれば生々しく、泥臭くこのテーマに取り組んでみたい。
 さて国交正常化から40年。振り返れば1945年に戦争が終わり日本は敗戦、荒廃した。49年に中華人民共和国が出来、その後、72年の「国交正常化」まで23年間は「冷戦」に翻弄されてきた、と言えるのではないか。
 72年、田中角栄総理、そして大平さんらが訪中され、周恩来氏、毛沢東氏との間で国交正常化がやっと生まれた。会場内にはまだ生まれていなかった方も多いと思う。40年はそれだけ長い時間だと思うが、それでもなお、日本と中国の関係は成熟していない。このことを踏まえながら、パネリストの皆さんにそれぞれの専門から両国関係をお話いただきたい。
■谷野作太郎氏
 私は過去2度にわたり日本の駐中国大使館に勤めた。1度目は国交正常化間もない73年から75年。次は98年から01年にかけて。
 思い出話になるが、最初の勤務は毛沢東さんの時代。私自身もまだ若かった。当時の中国は「自力更生」がスローガンで、「自分のことは自分でやる」「人の世話にはならない」という状況。逆に言えば、他とは付き合わないし、外国、あるいは各国の大使館との付き合いでも用心深く対応する、という状況だった。
 その後、時代は変わり、トウ小平さんの時代になると「改革開放」の下、足りない部分は(海外の)から協力も活用よう、という取組みは、今日の中国の発展に繋がっていく。
 私はこれまで「二つの中国」を体験した。極めて私見だが、毛沢東時代の「中国」が懐かしく思える。というのも、現代の中国が抱えている様々な課題、例えば貧富の格差や、環境の破壊、偉い方々の腐敗など、こうした問題は毛沢東さんの時代にはほとんどなかった、とも思えるからだ。かつて日本で「清貧の思想」が流行ったことがある。毛沢東さんの時代というのはそういう時代だった。
 さて、改革解放後の日中関係は大きく発展した。経済、政治から文化、スポーツや学術、青少年交流と大変幅広いものへと広がった。今や中国製品無くして、皆さんの日常生活は成り立たなくなりつつある、そんな時代に入っている。
 しかし、関係が深くなれば大きな摩擦も生じる。問題も出てくる。その一つ一つを挙げることはないが、例えば「食」への課題など、毛沢東さんの時代には考えられなかった。
 大小の波をかぶりながらの日中関係ではあるが、先の四川省での大震災、そして昨年の日本・東北での大災害の時、日中の間では助け合う心温まるエピソードがあった。
 国交正常化40年を振り返って思うことは、交流があって初めて相互理解が進む。各界・各層に広がる偏らない交流を通じて相互の理解が進み、そして「相互信頼」が芽生えていくのではないか。
 もう一点言いたいのは、本当に大切な両国関係を安定・良好運営していくためには政治家の方々の高い志、強いリーダーシップが必要。ただ、日本においては短期でリーダーが変わり、多くを期待できない側面もある。だからこそ、大小襲い来る風波や嵐に身を任せないで、立ち向かい、政治から日中関係を牽引していく強い志を期待したい。
■張 麗玲氏
 私は現場の人間で大所高所からの話は大変に苦手。しかし今回は是非とも現場の声として聞いて欲しい。
 私が日本をに来たのは20年以上前になる。「国交正常化40年を振り返って」、ということだが、日本に来るまで、実は私は日本に全く興味がなかった。「日本人」のイメージも、幼い頃に見た漫画の「刀を持った人」といったもので、特に深く考えていたわけではなかった。
 中国は80年代から改革開放が進み、普通の人々が海外に出られるようになった。私も海外に出、他の国はどうなのか観て見たかった。安全で近い国として、日本に私費留学したが、その日本で、私は中国とのギャップに驚いた。
 当時、私はまだ日本語が上手ではなく、学校とバイト、住まいとの間を往復するばかりだった。6年余りが過ぎ、大学に通いながら、益々「日本人」と「中国人」は違うと思うようになっていた。外見こそ良く似ているが中身は全く違う。バイト先では中国人は「日本にお金を稼ぎにきている」という印象が持たれてたし、多くの先生方、学友たちと交流したものの、結局、私は日本のことが好きにはなれなかった。
 長らく日本で暮らしてきたのに、私は何故好きではないのか。改めて疑問に思った。好きじゃないのに何故6年間も学び、生活してきたのか。改めて「日本で素晴らしい経験を重ねた」と思い返せるよう日本での就職を考えた。
 私は日本の伝統が良くわかる古い会社で働きたくて、創業130年の「大倉商事」1社に就職先を絞った。ダメだったら帰国しようとも考えていた。そして就職後、会社には大変に素晴らしい人が多く、そこで初めて日本と日本人のことが大好きになっていた。
 これほど近い国同士であるのに日本と中国は違う。古くから日本は中国の文化を学び、今も漢字が用いられている。外見も良く似ている。相互理解は容易だと思うのだが、実際はそうではない。まず互いに相手のことを知ろうとしていない。
 中国と日本が互いに理解しあうことはとても大切だが、私は相互理解する前に「互いを知る」ことで皆さんの力になれると、今はメディアで仕事をさせてもらっている。
 

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