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「エレキの神様」寺内タケシさん
2015-06-23 18:12:29   From:篠原功   コメント:0 クリック:

ジャンルを超えたスーパー・エレキ・コンボバンド「寺内タケシとブルージーンズ」が平成28年にバンド結成55周年を迎える。



≪ヒューマン・ドキュメント≫

「エレキの神様」寺内タケシさん

バンド結成55周年、さらなる飛翔
高校での芸術鑑賞会実施1606校

 ポップス、クラシック、民謡、映画音楽などジャンルを超えたスーパー・エレキ・コンボバンド「寺内タケシとブルージーンズ」が平成28年にバンド結成55周年を迎える。この間、「エレキの神様」「テリー」の愛称で親しまれ、座右の銘「ギターは弾かなきゃ音がでない」を引っ提げ、日本国内だけでなくロシア、アメリカ、ブラジルなど世界各地でコンサートを開催し、会場を興奮の坩堝とさせている。
                                 
◆5歳でギター手にする
 寺内タケシさんは5歳のときにギターを手にした。当初は母・初茂さん(岡流小唄と草紙庵流三味線の家元)から三味線を教わっていたが、「もっと大きな音の出るギターを弾きたい」と「親父が経営する電器屋の番頭を口説いて、両親に内緒で電気ギターを作ったが、戦争中でスピーカーなどない。3階の屋上の空襲警報を告げるスピーカーに繋いで大音量を発したため、空襲警報かと勘違いした人たちが防空壕に逃げ込んだ」という。当然、父の龍太郎さんは憲兵から大目玉をくらった。ちなみに父は土浦市議会議長を務め、映画館や電器屋を手広く手掛けていた。
 高校に入ると寺内さんはマンドリン・クラブを創設した。その技術も並外れていた。1年次から出場したNHK全国音楽コンテストで3連覇を成し遂げた。その快挙を知った明治大学マンドリン部創設者の古賀政男氏から勧誘を受け、寺内さんは明治大学へ進学した。しかし、家業を継がせたい父が1週間で寺内さんを退学させ、関東学院大学工学部電気科に再入学させた。
 この頃から米軍キャンプなどで演奏を行ない、その並外れた技巧で兵士たちを驚かせた。これを契機にバンド活動に拍車をかけ、1962年待望の「寺内タケシとブルージーンズ」を結成した。1964年からザ・ベンチャーズ、アニマルズ、アストロノウツ、スプートニクスなどの海外バンドが相次いで来日してきたが、ブルージーンズの演奏の凄さに圧倒された。まさに「エレキブーム」の大到来で、若者たちはエレキギターに夢中になった。
 しかし、このブームも束の間。「エレキギターやグループ・サウンズは不良少年の温床だ」との声が教育界から沸き上がり、世間のエレキアレルギーがどんどん強まった。教育委員会や学校が高校生たちに次々とエレキ禁止令を出したからだ。

◆エレキは不良になる?
 宮崎県でのコンサートでは、寺内さんのコンサートに入場しようとした高校生が入り口で入場券と生徒手帳を取り上げられ、1ヵ月の停学処分になった。「大人が信じられない!」「続けてほしい」――高校生たちからこんな手紙が寺内さんのもとに大量に舞い込んだ。「なぜエレキが悪いのか」「理解できない大人たちが間違っている」。寺内さんは怯まなかった。
 ある時、眠っていたら夢の中で「禁止している高校で芸術鑑賞・音楽鑑賞を提案すべきだ」との啓示を受けた。寺内さんはさっそくエレキギターの良さを訴えるべく全国の高校行脚を開始した。
 「高校生達に元気と夢と希望をもってもらいたい」。その一心で慣れない鉄道やバスを乗り継いで高校を訪ね歩いた。しかし、門前払いを食らうのみ。全く相手にしてくれなかった。このようにして3年が経過した。冬休みを目前にしたある日、地方の山の上の高校を訪ねた。この高校が100校目だった。相変わらず教育者たちは嘲り笑うばかりだった。この3年間を振り返ると100校回ってお茶を出してくれたのはわずか3校だった。

ギターは弾かなきゃ音が出ない
ハイスクールコンサートは熱い 

 「そうだ故郷に帰ろう!」――寺内さんはへたこれなかった。出身校の茨城県立土浦第三高校の門を叩いた。すると校長が「よく帰ってきたな。辛かったろう。うちの学校で芸術鑑賞会をやろう。俺が全ての責任を持つ。胸をはって演奏をやってほしい」と胸を叩いた。この母校での芸術鑑賞会が「ハイスクールコンサート」の第一号になった。
 ちなみに寺内さんは、あるとき、エレキギターコンサートを禁止した教育界の重鎮たちに「あなたたちの好きな音楽は何か?」と聞いた。すると「日本の民謡とクラシック音楽なんだよ」と答えた。
 「そうだ!」。寺内さんは手を打った。「寺内のエレキギターで日本の民謡とクラシック音楽を奏したとき世の中は何と応えるか!」――そこでベートーベンの『運命』交響曲第5番を発表した。レコードが発売され、3ヵ月経ったらレコード大賞編曲賞を受賞する快挙。それまで教育界に同調していたマスコミも手の平を返したように「エレキギターは素晴らしい」と持てはやした。現在、寺内さんの高等学校芸術鑑賞会実施校は1606校になった。まさに前人未到の快挙を成し遂げたのだ。
 寺内さんは「コロコロ変わる。そんな大人になるんじゃないよ!」と高校生たちに言って聞かせた。そしてまた「日本の音は日本海の荒波に育てられてきた。その音は日本の匂いを放っている。俺は国籍をはっきりさせて、胸を張って世界49カ国で演奏してきた」と言い切った。

◆露の白血病の少女
 世界といえば1976年、ソ連の白血病の8歳の少女から「寺内さんのファンです。ぜひ生演奏を聴かせて下さい」という手紙が届いた。寺内さんは即決した。たった1人の少女のために動いた。3000万円の赤字と寺内企画倒産を覚悟して8月にブルージーズのソ連ツアーを決行した。52日間に及んだツアーで観客42万人を動員し、大成功させている。後に2回にわたってソ連ツアーを敢行している。
 さらに寺内さんは、ブラジル、アルゼンチンツアーも成功させる一方、つくば万博グランドプロデューサーを無報酬で引き受けたりと八面六臂の活躍をした。こうした功績が高く評価され、日本レコード大賞編曲賞、同企画賞、同功労賞、ハイスクールコンサート1000校達成スポニチ文化大賞、文部大臣から感謝状、さらに「青少年に音楽の楽しさや感動を与え、その健全育成に大きく寄与した」として文部科学大臣から特別推薦を受けている。
 また、エレキギターへの優れた演奏と青少年への情操教育への貢献が認められ、文化庁から長官表彰、衆参両院議長感謝状、厚生労働大臣賞、緑綬褒章を受賞。衆議院第一別館において国会議員をはじめ、関係者を集め「ハイスクールコンサート国会報告会」を開催している。
 ハイスクールコンサートで寺内さんはパワフルな演奏を披露し、合間のトークでは「一生懸命努力し、行動すればものごとは達成できる」は熱く語りかけ、その強烈なメッセージが高校生たちに大きな勇気と希望を与え続けている。
 
 

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