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全日中展会長・宇俊之氏、村山富市元総理との友誼を語る
2015-12-21 15:29:34   From:篠原功   コメント:0 クリック:

“十五年、一日の如く”――全日中展会長・宇俊之氏に村山富市元総理との友誼について語ってもらった。



村山元総理の肖像画の前で記念写真


村山元総理に感謝して表彰する

“十五年、一日の如く”――全日中展会長・宇俊之氏、村山富市元総理との友誼を語る

◆村山元総理の「肖像画」描き、その生き方を顕彰

 今年9月、北京「中華世紀壇」において「和而不同・東北アジア五カ国書画展」というテーマの展覧会が開かれた。「和而不同」とは、『論語・子路』で孔子が「子曰く、君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」と言ったのに基づく言葉だ。私はこの「東北アジア五カ国書画展」に日本の訪中団を連れて参加・出品した。そしてオープニングイベントで村山富市元総理の祝辞を読み上げた。
  また、私は村山元総理の肖像画を「中華世紀壇」で展示した。肖像画は「村山談話」を発表する姿だ。そこに村山元総理本人が「歴史を鑑に日中平和友好の未来を拓く」という言葉を加えられた。肖像画を画くに当たって私は村山元総理に実際にモデルになっていただき、完成させた。
 この肖像画を「中華世紀壇」で展示したのである。この肖像画に対して多くの参観者から「日中合作を象徴する画である」「歴史的作品である」との高い評価を得た。
 振り返ってみれば私と村山元総理の交流は2000年頃から始まった。この年、全日本中国水墨芸術家連盟を立ち上げ、中国から国賓を招聘した歓迎パーティーで村山元総理が挨拶した後、名刺交換をした、後日、「ぜひ連盟の名誉顧問になっていただきたい」とお願いした。この要請に対して村山元総理は「名誉顧問ではなく顧問でよい」と言われ、顧問になっていただいた。
 その後、村山元総理には顧問として具体的にさまざまな応援をしていただいた。全日中展は今秋に開催した展示会で23回目を迎えたが、村山元総理には一貫して惜しみないご支援をいただいた。また、個人的にも親しい友人となり、2001年には全日中展の季刊誌の題字『水墨之友』(これまで54回刊行)を書いていただいた。そして発行するたびに村山元総理にご報告を申し上げてきた。
 村山元総理は「書」にも力を入れてこられた。熱心に「書」の上達を目指して練習に励む姿を日本テレビが放映したことがあるほどだ。毎回、全日中展のたびに祝辞を寄せていただき、その数は優に十数回に及んでいる。ご多忙なところ、寸暇を惜しんで書いていただき、約束の日にはきちんと届いた。また、祝辞はもちろん、封筒の宛名までもが直筆で、その都度、心から感動させられた。


福州市への機内で
 
◆09年には福建省展示会に参加、出席者に感動の渦

 全日中展にのみならずに、これまで中国のさまざまな省で日中芸術交流を開催してきたが、その都度、村山元総理に祝辞を書いていただき、代読させていただいている。そして中国の人たちはその祝辞に大きな感銘を受けている。
 また、中国人画家を連れて村山元総理の大分の自宅を表敬訪問してきた。その数は6回(東京での表敬訪問は10回ほど)にも及んでいるが、いつも変らぬ優しさ、親切さで接していただき、訪問した芸術家たちはいつも感動して帰ってくる。
 今年4月に東京都美術館で開催した第22回全日中展で「村山富市賞」を設け、中国人芸術家に贈呈することになった。この贈呈式に村山元総理は多忙な日程を割いて駆け付け、表彰会場で祝辞を述べるとともに、高齢にも関わらずステージに立ち、30人にも及ぶ中国人画家一人ひとりに「村山富市賞」を手渡していただいた。個人として最も忘れられない思い出になった。
 2009年秋に福建省福州市で「宇俊之作品展&全日中展優秀作品展」を開催した。この作品展に村山元総理に参加していただいた。村山元総理は10月に北京の国慶節に出席したばかりだった。11月といっても福建省は暑い。開幕式は屋外で行われたが、村山元総理は暑さをものともせず、炎天下の式典で力強い挨拶をしてくださった。
 村山元総理は「福建省は暑いが、皆さんの歓迎の気持ちは今日の天気より暑い」とユーモアを込めて挨拶した。参加者は大いに和(なご)み、村山元総理の細やかな心遣いに感動し、私も心から感謝した。
 また、2014年全日中展事務所に「大観堂画殿」をオープンした。村山元総理に美術館名「宇俊之美蔵館」と書いていただき、日中優秀画家作品の収蔵館にしたいとの願いを込めた。



全日中展のために村山元総理が揮毫した言葉


宇俊之氏のために村山元総理が揮毫した言葉


村山元総理の自宅を訪ねて
 
◆「清貧」貫徹!何でも自分でやれば「健康」になる
 
 この時も私は村山元総理の肖像画を描き、同じように私が「村山談話」の一部を書き、村山元総理には談話の一部をしたためていただいた。
 多くの人々が村山元総理にさまざまな芸術品を贈呈したいと願い出た。皆、村山元総理の人柄に惚れ込んでいた。優しさや親しみがある一方で「凛」とした風格がある。前述したように大分の自宅に多くの中国人芸術家を連れて表敬訪問してきたが、あまりにも質素な住宅に「これが一国の総理だった人の家か」「中国の村の村長の家の方がはるかに豪華だ」と皆は驚きを隠せなかった。
 村山元総理は庭の手入れを全て自分でやっていた。「健康の秘訣は貧乏。貧乏だからすべて自分でやる。身体を動かすから健康になる」と周囲の評価など意に介さなかった。「健康の秘訣は?」と聞いてきた中国人芸術家に「何でも自分でやれば健康になる。私は眉毛(長いことで有名)もクシで梳(と)かす」と笑わせた。ある中国人書家が村山元総理に「仙風道骨」の書を贈呈し、健康長寿を祈った。
 村山元総理と一緒に街を歩くと、見知らぬ人にも「こんにちは」「元気ですか」と親しく声をかける。ある時、タクシーに乗った。運転手は「村山先生の政策は支持しない。しかし、人柄は好きです」と言った。すると村山元総理は「村山談話は賛成、反対いろいろあるが、自由だから、何を言われても気にしない。自分が正しいと思うものは堅持する」ときっぱりと語った。
 私はそんな村山元総理の人柄に魅かれている。何よりも村山元総理は「清貧」を貫かれていると思う。顧問を引き受けているのは書画団体では「全日中展」だけである。ただ一筋に「友誼」を大切にしていただき、感謝に堪えない。中国の芸術家が日本に来ると、できるだけ村山元総理に会っていただき、政治家の理想の姿に接してもらうようにしている。また、国会議事堂を必ず訪問し、民主主義で運営されている政治の本拠地を体感してもらうようにしている。
 また、村山談話発表15周年に当たる2010年、私は「村山談話の道徳の光輝」という記念文章を書いた。最後に村山富市の名前を用いた「蔵頭詩」を作って、村山元総理を顕彰したのでここに紹介したい。
 
 村臨海邊日照長、
 山頂自有好風光;
 富在和心融四海、
 市場有価徳無量。

 

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