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NPO緑色生命の易解放理事長、砂漠緑化の渾身の取り組みを報告
2016-01-05 20:14:15   From:篠原功   コメント:0 クリック:

NPO緑色生命(理事長:易解放)は、12月23日午後1時から豊島区生活産業プラザで「『1億人 億万樹』大型公益フォーラム~砂漠植林ボランティア講演説明会」を開催。


易解放理事長
  
NPO緑色生命の易解放理事長、砂漠緑化の渾身の取り組みを報告
 
 「砂漠を植樹で緑に変えよう!」――NPO緑色生命(NPO‐green life/理事長:易解放)は、12月23日午後1時から豊島区生活産業プラザで「『1億人 億万樹』大型公益フォーラム~砂漠植林ボランティア講演説明会~」を開催した。フォーラムでは易解放理事長が子息を交通事故で失うという失意のどん底から立ち上がり、子息の夢だった砂漠植林に果敢に挑戦し、荒涼たる大地を緑に変えた渾身の取り組みを報告、植林への協力を呼びかけた。なお、このフォーラムは日本華人職業女性聯誼会が後援した。
 
◆砂漠緑化は「息子の夢」
  最初に豊島区日中友好協会会長の尾崎隆信氏が来賓を代表した挨拶した。尾崎氏は易解放さんが砂漠防止の画期的なシステムを構築し、緑化意識の向上と環境保全に貢献してきたことを高く評価した。
   さらに尾崎氏は「18世紀にイギリスで起こった産業革命以来、地球の温暖化が進行し、人工的な災害が深刻化してきた。特に中国大陸では住宅地にまで砂漠が押し寄せ、日中友好協会は植林活動を行ってきたが、整備されていないため枯れている個所も散見される」と指摘した。
  その一方で「易解放さんは土壌診断から植樹、さらにメンテナンスにいたるまで一貫したシステムを構築し、砂漠の緑化を進めた。それを実際に体験してほしい」と語った。
   易解放さんの講演テーマは「愛に燃えて、命の輝きを!」。易さんはグリーンライフを設立した目的について、開口一番、「砂漠に植樹することは息子の夢だった」と語り、砂漠緑化を具体的に進めた経緯を語った。
   2000年、易さんはお茶の水女子大の研究生、夫は旅行会社を経営していた。そして子息は中央大学に通う学生だった。それぞれ充実した幸せな日々を送っていた。5月のある朝、易さんは夫婦で決めていたある計画を子息に打ち明けた。「私たちは中国に戻って生活することにした」と。すると子息は「中国へ戻っていったい何をするのか。あなた方は内モンゴルの砂漠地帯に木を植えたらどうか」と提案した。まだ、社会に足も踏み入れていない大学生の提案に易さんは驚いた。
◆最愛の息子が交通事故死
   当時、中国では砂漠化が加速度的に進行していた。黄砂も周辺国に飛散し、大きな被害をもたらしていた。内モンゴルに木を植えて砂漠化を防ぐといっても、広大な砂漠、しかも木を植えるとなると多額の資金が必要となる。少々の蓄えはあったが、大規模な植林活動など夢のまた夢だった。
    しかし、この後、夢想だにしない不幸が易さんを襲った。バイクで通学していた子息が交通事故に遭ったことを大学の学生課から告げられたのだ。すぐさま病院に駆け付けた。緊急治療室に運ばれて懸命の治療が施されたが、もはや蘇ることはなかった。子息は性格も素直で、学業の成績もいつも上位。周囲もうらやむ「自慢の息子」だった。
   その子息が帰らぬ人となったのだ。易さんの悲しみ、嘆きは計り知れなかった。棺(ひつぎ)に遺体を収めるときも火葬するときも半狂乱のようになって「一緒に入れてほしい」と懇願したという。それからしばらくは泣き崩れるような日々を過ごした。
   しかし、いつまでも悲しみに明け暮れる生活は続けられなかった。「私と主人は苦難を乗り越えなければならなかった。そうだ!内モンゴルに木を植えよう。息子の夢を実現しようと決意した。この挑戦に主人も同意してくれたのです」と易さん。そして失意のどん底の悲しみと決別、決然と立ち上がった。
   腹が決まると易さんは電光石火のように行動を起こした。2002年にグリーンライフの発足式を行い、翌2003年3月には特定活動法人の認定を手に入れた。そして4月には内モンゴルの砂漠の実情視察に出かけた。
   易さんは上海生まれ、上海育ち、日本での生活も長い。初めて砂漠に足を踏み入れた易さんは驚いた。ただただ砂ばかりの広大な大地。「正直言ってどこから手をつけたらよいか。こんなおばちゃんに植樹なんかできるのか」と戸惑うばかりだった。しかし、砂漠植林は子息の夢であり、父母に託された願いだ。


苗木を担いで植樹する易さん

◆資金集めとの闘い開始
   内モンゴルの砂漠への植林というと、砂漠に300万本のポプラを植林した日本人・遠山正瑛氏が有名だが、この年の視察では、東北から西の遠山氏の植林基地まで8000キロを移動した。鉄道の傍(かたわら)には樹木が立っているが、枯れていた。すべて黄砂が原因だった。さらにその黄砂は近隣地域や周辺国に甚大な被害をもたらしていた。
    しかし、広大な砂漠に植樹するとなると、多額の資金が必要となり、理事たちは「高額な負債を背負う」と難色を示した。そこで易さんは長年の蓄えはもちろん、息子の生命保険も投じる決意をした。「資金は私一人が背負う。理事の皆さんは組織の収支を健全化して支えてください。私は全員反対して一人になっても、木を担いで植樹します」と宣言した。
   2003年から2004年にかけて寄付を呼び掛けたが、わずか三十数万円しか集まらなかった。「中国に行けば人口が多いから、寄付に応じてくれる人はいるだろう」と、高(たか)を括(くく)っていたが、当時、中国では公益・慈善意識が乏しく全く相手にされなかった。
   それでも「石の上にも三年!何とかなるさ」――易さんは楽観的に事態の推移を受け止めていた。「2004年から草も木も皆無の荒涼とした大地に一人で植樹を始めた。最初は心もとなかったが、毎年木を植えていると、地元の協力者が次第に増えてきた。植樹を大地にしっかりと根付かせえるためには地元の人たちの協力が不可欠だから、そうした動きが心強く感じられた」という。
◆上海万博が大きな弾みに
    2010年、中国が国家の威信をかけて世界にアピールする「上海万博」が開催されることになった。それに先立って2008年、世界から多くの人を上海に迎えるために上海婦人協会が上海市民にマナーや礼儀作法を教える講習会を開催することになった。講師は易さんが担当した。そこでの易さんの活躍が地元の有力者の耳に入った。ちょうど全国婦人連盟が「優秀な母100人」をPRしている時だったので、「砂漠植樹の講演会や募金活動をやろう!」と政府も積極的に支援に乗り出した。
   企業・団体にも足を運ぶ機会も多くなり、政府環境部から開発区、さらには大学、ボランティア団体までもが易さんの活動に賛同し、支援の手を差し伸べてくれるようになった。こうした動きが顕在化すると、マスコミも動いた。NHKをはじめ、中央テレビ、朝日新聞等が易さんの取り組みをセンセーショナルに報道した。
   易さんの熱心な取り組みに対して植樹の専門家もアドバイスを惜しまなかった。「砂漠に木を植えても、その木が生き残ることが重要だった。生存させるためにはどのような管理をすればよいか。まず、土の質の確認が必要だ。さらに地下水の深さの調査、苗木が生き生きとしているか、地元に責任感の強い管理者がいるか――このようなことに気を配る必要があった」という。
  また、植林地に適度に雨が降らなければならない。このような総合的な条件が整ってはじめて砂漠緑化が実を結ぶのだ。「私が植樹した地域では不思議と全てに恵まれ、活着率は8割を超えた。科学では解釈できない、不思議な力を感じ取った」と易さん。


植樹風景


易理事長


講演終了後の記念写真

◆荒涼たる砂漠に緑生まれる
   2011年は「国際森林年」と位置づけられ、そのシンボル的な場所として易さんの植樹基地が選ばれた。この基地で国際会議が開催され、全国から多くの関係者が集結した。本格的に植樹を始めた2007年の苗木は、2011年には太い幹を持つ木になっていた。
 「荒涼たる砂漠の大地が林になり、鳥、ウサギなど野生の生き物も生息するようになった。木を植えたところは砂の移動が止まり、木の周りに草が生え、何年かすると緑の芝生になっていた。植樹を始めた頃、こんなに豊かになるとは思ってもみなかった。息子の夢のためにただひたすら木を植え続けてきただけなのに―」と易さんは感慨深いものを感じ取った。
   この植林基地は「母親公益林模範基地」の称号が与えられた。全国のさまざまな団体が松やポプラの苗木を贈ってくれるようになった。「植樹は愛を込めれば応えてくれる」というのが率直な実感だった。植樹して5、6年もすると、苗木は易さんの身長より高くなった。易さんは、いまその木にまるでわが子に注ぐような温かい眼差しを投げかけ、優しく触り、幸せを噛みしめている。「決して一人ではできない。皆さんが力を合わせて植えてくれたからだ」と易さんはしみじみ振り返る。
   易さんは全国各地を飛び回り、講演会を開催し、「一緒に植樹をやろう!」と呼び掛けた。協力者には5、6歳の子どもから80歳を超えた高齢者もいる。そんな人たちの支持に易さんは感動させられている。だから継続することができる。易さんは「植樹活動だけでなく、公益活動や慈善活動を通じて人々の心が蘇れば、無限の喜び、無限の愛が生まれる」と目を輝かす。
◆漢方薬の企業と合作果す
   第一期700ヘクタールに100万本の植樹をした時、「中華慈善賞」を受賞した。「この時、主人から木もすくすく育っているし、もう活動を止めては?」と言われたという。しかし、易さんは「まだまだ内モンゴルの砂漠化は進行している」と手を緩めなかった。そして第二期1万1700ヘクタールの植樹の契約をした。
   さらに2011年から政府・地元・ボランティアが一緒になって植樹するという開放型プロジェクトにした。当初、植樹したのは、松やポプラではなく、背の低い芝のような「梭々」(ソソ)という木だった。この木は細くて弱々しく見えるが、かなりの高温・低温でも、水が少なくても生きていける強さ持っていた。さらにこの木の下には漢方薬の生薬「肉蓯蓉」(ニクジュヨウ)が生育するという特色があった。
   「肉蓯蓉」には20種類以上の生薬のエキスが含まれており、それは免疫力を高めるだけでなく、糖尿病の予防、高血圧や不眠症にも効果がある。特にアルカロイド、蛋白質、アミノ酸などを含んでおり、野生の馬の精液が地に落ちて、そこから生えてくるといわれるほどパワーが溢れており、精力剤としても有名だ。「梭々」の下ではその「肉蓯蓉」が自然に生育するという。
◆砂漠植樹に生涯を捧げる
 公益活動では潤沢な資金を必要とする。その資金をどのように調達するかが大きな課題だった。しかも公益林の管理・育成は大変な時間と労力を必要とした。そこで漢方薬の企業と合作し、管理・育成を委託する契約を結んだ。さらに「梭々」の花からタネを収穫すると1キロ5万元になる。易さんはこうしたところに着目し、政府・林業局・企業が一体になって持続的な植樹システムを構築し、砂漠を緑に変えたのである。
 昨年6月、人民大会堂で「世界環境の日」の会議が開かれた。易さんは植樹活着率85%以上と目覚ましい成果を上げてきたところから会議への出席を要請された。ここで教育界の代表者とも知り合いになった。子どもたちを植林基地に引率して楽しく植樹する提案もした。
   「昨年暮れに68歳を迎えた。皆さんからエネルギーやアイデアをもらい、ますます若くなるようだ」と易さん。植樹基地では「木を植えた後、地元特産の蕎麦、麦で作った食事を子どもにふるまう。また、近くのせせらぎで川遊びをしたり、乗馬を体験してもらう。こんなイベントは子どもたちにも大好評だ。振り返ると試行錯誤の連続だったが、砂漠植樹に生涯を捧げたい。こうした活動を通じて日中友好に貢献できれば幸いだ」――易さんは晴々と決意を語った。
 

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