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女優・水原碧衣さん、映画『漂洋過海来愛你(海を越えた愛)』で主役
2016-05-11 16:40:18   From:篠原功   コメント:0 クリック:

中国・長江三峡の奥地・神農渓で船曳をする青年と東京の少女の恋物語を描い映画『漂洋過海来愛你(海を越えた愛)』が6月に公開される。主役の水原碧衣さんに聞いた。


女優・水原碧衣さん
  
女優・水原碧衣さん、中国の芸能界で大活躍
 
6月公開映画『漂洋過海来愛你(海を越えた愛)』で主役
 
中国・長江三峡の奥地・神農渓で
船曳をする青年との恋物語を熱演
 
 中国・長江三峡の奥地・神農渓で船曳をする青年と東京の少女の恋物語を描いた映画『漂洋過海来愛你(海を越えた愛)』が6月に公開される。この映画で東京の少女・純子を演じたのが中国で活躍する女優の水原碧衣さんだ。その水原さんがこのほど来日したので、出演作品をはじめ、女優業に対する思いを聞いた。
 
■長江三峡の船曳に惚れる
 『漂洋過海来愛你(海を越えた愛)』は90年代に実際にあった恋物語を映画化したもので、当時、メディアでも取り上げられ、今でも現地で「史上最もわがままな愛」として語り草になっている出来事だ。
 ストーリーを簡単に紹介したい。東京の富豪の娘・純子は天才画家でもある。その純子はたまたま旅行で訪れた中国・長江三峡の奥地・神農渓で船曳をする青年・大志に一目惚れしてしまう。
 再会を果たすため再び神農渓へやって来た純子は、偶然、大志の結婚式を目撃することになる。しかし、純子は怯まなかった。純子の大志に対する恋心は募るばかり。大志に「一緒に日本に来てほしい」「それが無理ならば自分がここに残る」と告げる。
 1年後、純子の父親から大志のもとに一通の手紙が届く。手紙の内容は、娘・純子と24時間二人きりで過ごしてほしいというものだった。
 その理由も目的も書かれていない手紙によって、大志の家庭はもちろん、神農渓全体が大きく揺れることになる。純子の願いとは何か、また、父親の思惑とは何か…。ストーリーは思わぬ方向に展開する。


映画のポスター
















■湖北省の山奥で撮影
 ここで船曳とは何か。不案内な読者のために紹介したい。古代の中国では、険しい道を切り開くよりも先に、便利な水路が発達した。河川の船は、帆を揚げて舵をとり、流れにそって河を下れば一瀉千里。しかし、流れに逆らい、河を上れば、進むことは至難の業。そこで船を上流に運ぶためには船曳の人夫たちが船にロープを繋いで、河岸伝いに牽引することになる。
 人夫には、船乗りを兼務する者や臨時に雇われた者などがいた。河の流れや船の大きさ、積載量の違いによって人夫の数も異なった。少ない時は2、3人、多い時は数十人が必要だった。
 水原さんはこの映画で初めて主役を演じた。昨年6月から1ヵ月半、湖北省の山奥で撮影に挑んだ。しかも10代の日本人少女の役だ。「この映画をきっかけにして女優業に本格的に取り組みたい」と目を輝かす。
 
司法試験の勉強を中断、思い切って転身図る
中国の芸能界で花開き、本格的に女優の道を
 
■京都大学卒業の女優
 水原さんは幼い頃、両親と中国に住んでいた。家族とともに日本に来たのは10歳の時だった。京都大学法学部を卒業後、司法試験に挑むため早稲田大学ロースクールに入学した。弁護士を目指していたからだ。
 しかし、幼い頃から演じることが好きで、中学生のときには女優のオーディションを受けていた。京大を卒業するとテレビ、映画などエンターテイメントの世界に憧れ、まずはインターンシップでADを経験した。しかし、水原さんの目指すものとは程遠かった。そこで早大ロースクールに入学し、司法試験の勉強をしながら女優の道を目指した。ところが、「女優になるには年齢的に遅すぎる」「高学歴タレントとして売り出す手もある」――等々とまともに取り合ってくれなかった。
 しかし、水原さんは、幼い頃の演じる喜びがいつも脳裏から離れなかった。自分が安心して将来を託せるプロダクションが見つけられないまま、モデルやタレントと大学院の掛け持ちを続けていた。相変らず方向性が定まらず、ある大手プロダクションを紹介され、訪ねると「まずは弁護士資格を取得し、『弁護士女優』として売り出せるかな?」と冗談交じりに言われる始末。
 「司法試験は甘くない。果してこのまま続けていていいのだろうか」――水原さんの気持は暗く沈んでいった。そこで思い切って休学し、女優業を本格的に目指すことになった。周囲は反対した。アルバイトや派遣社員として働きながらの挑戦だったため閉塞感だけが募った。
■そうだ中国へ行こう
 「そうだ中国へ行こう!」――そんな時、水原さんは新天地に挑むことを思い立った。「中国は発展途上で未熟なところがあるが、人々が熱い。コミュニケーションも濃密。後悔しないためにも一歩踏み出そう!」と決意した。
 中国では俳優養成学校に入り、劇技科で猛特訓した。とにかく負けたくなかった。寮には食堂があるのでキャンパスから外へ一切出なかった。決意が揺るがないようにするためだった。どんな時も台本を持ち歩き、台詞を覚えた。
 やがて一途な努力が実を結んだ。100人のクラスで最高点を獲得。卒業発表の舞台『北街南院』では生粋の北京人の役を演じて周囲を驚かせた。これで自信を得て、オーディション行脚を開始した。まもなく狩人が奮闘して英雄になるという抗日テレビドラマ『我是英雄』に出演した。この後、ネットドラマや映画出演の話が舞い込んできた。また、北京首都国際空港の日本語のアナウンスにもチャレンジした。
 水原さんは全人口の2%しかいないという上位IQ(知能指数)の持ち主だ。その人たちが参加する国際グループ(MENSA)の会報に2回も登場した。「これからはキャリアを重ねて実績を作り、中国だけでなく、日本の芸能界でも活躍したい」と夢を語った。

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