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日本のボランティア、私財を投じてまで中国の砂漠で植樹続けるのはなぜ?
2018-08-15 14:33:37   From:人民網日本語版   コメント:0 クリック:

毎年、中国の内蒙古(内モンゴル)自治区の砂漠に「平和の友誼の種」を植えている日本人たちがいる。

1991年に設立された日本砂漠緑化実践協会はこれまでに、1万2000人以上が自費で内蒙古自治区に赴き、約410万本の植樹を行う企画をし、中国の砂漠化防止に積極的に寄与してきた。

 

中国の砂漠に300万本植樹した遠山さん

北京から約600キロ離れた内蒙古自治区鄂爾多斯(オルドス)市にある庫布斉(クブチ)砂漠の奥地に恩格貝という地域がある。27年前、そこは荒れ果て、土地は痩せ、約2万ヘクタールの土地には人の影もなかった。しかし、今はそこに美しい自然の景色が広がり、有名な生態観光地となり、多くの人が観光に訪れるようになっている。

この砂漠緑化の奇跡は、日本人の遠山正瑛さん率いる日本人ボランティア数千人と切っても切れない関係にある。

遠山さんは2004年2月に97歳で亡くなったが、1970年代初めから、中国の砂漠緑化の研究に着手していた。

90年代初め、遠山さんは、恩格貝砂漠開発モデルエリアの総指導者に任命され、日本砂漠緑化実践協会を立ち上げた。中国において十数年の砂漠緑化活動を行った遠山さんの足跡は、新疆維吾爾(ウイグル)自治区、甘粛省、寧夏回族自治区、内蒙古自治区にも残されており、ボランティア7000人以上と共に、約300万本を植樹した。

遠山さんは日本において、砂漠緑化の意義を大々的にPRし、一人でも多くの日本の人が中国に行って植樹に参加するよう呼びかけていた。遠山さんは98年に中国政府から「友誼奨」を授与され、01年には国連「人類に対する思いやり市民賞」を受賞した。

遠山さんが亡くなった後も、多くの日本人ボランティアが遠山さんの遺志を継いで、中国での植樹に参加しており、毎年ボランティアに約300人の申し込みがある。

このほど遠山さんが暮らし、働いていた鳥取県に取材に訪れた。

取材に応じた鳥取市企画推進部文化交流課の山田雅一課長によると、「日本砂漠緑化実践協会は毎年、全国各地のボランティアがクブチ砂漠に行って植樹することを企画している。今年の緑化活動は7、8、9月に展開される。1回6日間で、一人当たりの費用は17万8000円、全額自己負担」とその活動を紹介。

山田課長は07年に鳥取大学、鳥取環境大学、鳥取県などと共同で、「クブチ砂漠植樹活動支援会」を立ち上げ、毎年学生らがクブチ砂漠に行って植樹するよう企画し、遠山さんの精神を引き継いで、中日友好を促進している。


中国での植樹を通じて行う侵略の歴史の償い

日本砂漠緑化実践協会の石田敏光理事は、「日本は過去に中国に対して侵略戦争を起こしており、許されない戦争犯罪を犯した。遠山さんはずっとそれに心を痛め、晩年は中国での植樹を通して、侵略の歴史の償いをしたいと考えていた」と述べる。

石田理事は以前、遠山さんと共に中国に行って植樹をした経験があり、遠山さんは、忍耐強く、確実に行動する人だったというのがその印象だったといい、「遠山さんは、『砂漠緑化の理論を研究をしている人はたくさんいるが、実際に行動をしている人は非常に少ない。体力が続く限り、1本でも多くの木を植えたい』とよく話していた」という。

事実、遠山さんと中国の「縁」は1935年にまで遡ることができる。同年、中国に留学した遠山さんは、農耕文化や植物生態を研究し、36年に研究用にとクブチ砂漠の土地を購入した。しかし、日本がその後すぐに中国侵略戦争を起こしたため、遠山さんの計画はもろくも崩れてしまった。

石田理事によると、遠山さんは戦争を二度と起こしてはならず、日中友好を代々引き継いでいかなければならないと考えていた。鳥取大学で定年を迎えた遠山さんは、老後の生活全てを中国における砂漠緑化事業に捧げたという。

植樹をめぐっては、遠山さんには、樹を植える時の穴の深さや大きさ、苗と苗の距離、土のかたさなどの自分なりの科学的理論があり、ボランティアにそれを詳しく伝えて、その通りに行うよう指示していたという。他の人に細かな指示を出すだけでなく、遠山さんは自分にも厳しく、1日に10時間植樹に従事していたという。

さらに、植樹を支援するために、鳥取県の不動産を売却したり、日本のテレビ局や大学、社会団体などに中国での植樹の意義を説明して、資金集めに奔走したりしていたという。

そのような遠山さんの姿勢に感銘を受け、石田理事を含むたくさんのボランティアがその遺志を継ぎ、毎年中国に足を運んで植樹を行っている。そして、緑の木々が中日友好の証となっている。

 

「砂丘の父」が残した砂丘1平方キロ

遠山さんの長期に渡る取り組みが成果を上げ、日本の海岸線上の砂丘24万ヘクタールが効果的に緑化されたため、日本で遠山さんは、「砂丘の父」と呼ばれている。緑化はそんなに簡単なことではないということを多くの人に銘記してもらおうと、遠山さんはわざわざ砂丘1平方キロを教育拠点として残し、見学できるようにしている。

鳥取県東伯郡北栄町の農地に立った石田理事は、「50年前、ここも砂丘だった。しかし、遠山さんのおかげで、今はここでヤマイモやスイカ、ブドウなどを生産できるようになった。鳥取県民はずっと遠山さんに感謝している」と話した。

鳥取市の栄誉市民である遠山さんの写真は今でも鳥取市役所のホールに掲げられている。また、遠山さんがかつて教壇に立っていた鳥取大学にもその功績を記念する石碑が建てられている。

鳥取大学の岩崎正美元理事は、遠山さんと共に何度も中国に視察に訪れた。遠山さんと一緒に仕事をした日々を振り返り、岩崎さんは、「仕事をする時、遠山さんは常に古びた日よけ帽子をかぶり、黄色の作業着を着て、長靴を履いていた。そして、高齢になってからも行動で模範を示し、周りの人の心をあたたかくし、感動させてくれた。また、ボランティアの若者たちをいつも励ましていた」と語る。

今年は中日平和友好条約締結40周年を迎えた。岩崎元理事は、「日中両国がさらに多くの砂漠緑化人材を育て、環境保護の分野の協力を強化し、日中友好が代々引き継がれることを願っている」と話した。

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